三江平原のツルを守る

文 加藤 和明



はじめに

 ツル類は主に湿地に依存して生活するため、近年の開発により生息地が減少し、その生存が危ぶまれてきました。ツル類の多くは長距離の渡りを行うため、保護を進めるためにはその繁殖地、渡りの中継地、越冬地を把握し、それぞれを一体として保全することが必要です。そのため、1980年代から足輪を使った渡りの調査が実施され、一定の成果を上げてきました。しかし、重要な生息地を判別したり、渡りのルートを明確にするには、十分ではありませんでした。
 1991年から、本会ではツル類の渡りルートと生息地を解明し、ツル類保護を促進する目的で、NEC、NTT、読売新聞社の協力のもと、衛星追跡による調査に取り組み、大きな成果を上げてきました。この成果として明らかになった重要繁殖地のひとつが、中国北東部の三江平原です。ここでは、本会が三江平原で行ってきたツル類繁殖地を保全するための活動についてご紹介します。



三江平原とツル類の現状

 1992年から1993年にかけて、本会と(財)山階鳥類研究所との協同チームは、越冬地の鹿児島県出水市で計11羽のマナヅルに衛星追跡用送信機を装着し、そのうちの9羽について繁殖地まで追跡することに成功しました。その9羽のうち7羽が三江平原に渡って繁殖期を過ごしたのです。

図1:渡りルート
図1:衛星追跡により解明されたマナヅルの繁殖地と渡りルート(樋口他、1993を改)

 三江平原は中国の最東端、ロシアと境界を接する黒龍江省東部に位置し、北の黒龍江、東のウスリー江、西の松花江に囲まれた面積108,900平方キロメートルの一大湿地帯で、タンチョウ、マナヅル、コウノトリ、ホウロクシギをはじめとして、絶滅が心配される希少鳥類にとって重要な繁殖地となっています。しかしながら、かつては「北大荒(北部の大荒野)」と呼ばれる一大未開地であった三江平原は、1940年代から始まった開拓とそれに続く農業開発の結果、「北大倉(北部の穀物庫)」と呼ばれるまでになり、その面積の実に3分の1にあたる湿地が農地に転換されてきました。さらに1990年代に入っても依然として農地造成が進められ、希少鳥類の生存が危ぶまれていたのです。
 1995年、本会は、三江平原におけるツル類の生息状況について把握するため、航空調査を実施しました。その結果を1984年に国際ツル財団らが行った調査の結果と比較したところ、三江平原で繁殖するタンチョウの個体数が急減していることが示唆されたのです。



三江平原の開発事業と自然保護対策

 一方、中国では依然として食糧事情が悪く、1995年当時の予測によると、このままの状態が続けば2000年には食糧不足が非常に深刻なものになるため、食糧増産が重要課題とされていました。その課題をクリアする重要な事業のひとつとして、三江平原で日本の政府開発援助事業が計画されていたのです。それはふたつの円借款事業で、黒龍江省農墾総局が管轄する農場で灌漑設備改善や農地開墾を行う農業開発事業と、三江平原中央を流れる撓力河上流部にダムを建設し、灌漑用水の供給や発電などを行う龍頭橋ダム建設事業でした。

 しかしながら、これまで本会などの調査によって明らかになってきたように、三江平原は希少鳥類の重要な繁殖地であることから、事業を進める上で自然環境と野生生物への影響を緩和することが同時に求められていました。円借款事業を行っている海外経済協力基金では、事業計画前から現地の自然環境について調査を行い、湿地の保全に高い必要性を認めていました。そこで、1995年本会は、食糧増産事業がツル類と湿地へ及ぼす影響をできるだけ少なくするため、海外経済協力基金による事業の計画段階で自然保護を目的とした調査を行い、希少鳥類の生息環境が破壊されるのを防ぎ、持続的な発展に貢献するための対策を策定したのです。対策の概要は、新規農地を開拓するときに保全地域と開墾可能な地域を設定すること、自然保護区の設立が必要な地域の指定、生態学的な視点に基づくモニタリング調査の実施によるダム建設等の影響把握とそれへの対処などでした。

図2:活動の流れ
図2:活動の流れ



保護対策実施促進のための働きかけ

 これらの対策を踏まえて、1996年、円借款事業が開始されました。その後本会は、保護対策の実施状況を把握するために現地調査を行いました。その結果、開墾禁止区域の遵守など、保護対策はある程度実施されていたのですが、湿地への開発の影響を把握するためのモニタリング調査が実施されていない、自然保護区の設立が遅れているなど、達成程度には不十分な点が少なからず認められました。
 中国の環境保全政策は、環境汚染については充実してきているものの、野生生物保護や生物多様性保全についてはようやく着手したばかりです。自然保護区の整備は1994年頃からスタートし、法整備などが進められてきましたが、保護の必要性への理解や、行政の対応がそれに追いつかない状況にあります。  例えば、農業開発事業を実施している農墾総局の管轄する区域では、いくつかの自然保護区が設立されていましたが、保護区設立の際に十分な調査を行えないために保護区域がツル類の営巣地を十分にカバーしておらず、開発によって営巣地が失われる恐れがありました。また、保護区として行政的には認められていますが、管理のための予算がないなど様々な問題を抱えており、実質的に管理されている自然保護区はほとんどありませんでした。
 こうした事情を含めて、中国側が自然保護対策を実施する上では技術的にも困難な点が少なくなかったため、さらに保護対策の実施を促すための支援事業を行う必要がありました。そこで、海外経済協力基金と本会は、1997年から計画案の作成をスタートさせ、事業実施者である黒龍江省農墾総局、黒龍江省水利庁と検討を進めました。
 これらの働きかけのなか、1997年には、衛星追跡によりツル類の利用が確認された地域が省レベルの新しい自然保護区(雁巣島自然保護区、約12,000ha)として設立されました。また、自然保護のための一連の活動は、省政府にも認められるようになりました。黒龍江省政府が1998年12月に発布し、国家に先駆けて湿地の新規開発を禁止した「湿地保護強化に係る通知」では、優先的に保全すべき地域として三江平原がとり上げられ、その重要性に対する理解も次第に高まってきたのです。

図3:実施体制
図3:三江平原の食糧増産事業と自然保護対策の実施体制



保護区の実質的管理に向けて

 1998年、海外経済協力基金は国際協力事業団にも協力を呼びかけ、中国の事業実施機関が自然保護対策を実施するための技術支援を行うことになりました。本会は国際ツル財団と協同で技術支援の内容を検討し、1999年には技術支援事業がスタートしました。事業の目的は、1995年に作成した自然保護対策の実施を促すことですが、中国側の諸事情を考慮し、モデル的な保護区を選定してそれを対象とした事業を行うことで、実質的な保護区管理を開始することに主眼がおかれました。対象となった自然保護区は、龍頭橋ダムの下流にあってダム操業の影響が最も大きく、かつこれまでの調査からツル類の重要な繁殖地とわかっていた雁巣島、長林島のふたつです。事業では、これらの保護区で龍頭橋ダムなどの影響を明確にし、それに対処するために継続的な調査を実施していくこと、ツル類が利用する地域や環境を把握して、保護区と湿地の管理に役立てるための技術移転を行うことです。事業は、1999年に、海外経済協力基金と国際協力事業団から専門家を派遣して技術移転を行い、2000年にはそのフォローアップを行うという形で実施されました。



モニタリング調査の実施とその成果

 1999年5月、本会と国際ツル財団の専門家が現地入りし、ツル類の生息状況調査などと平行して、保護区でのモニタリング調査をスタートさせました。予算の不足から現地には技術スタッフがいないため、モニタリング調査はこれまで全く経験のない農場の環境保護部門の職員が行うことになりました。そのため、保護区を管理していくための基礎知識や、鳥類識別などの各種研修や実地指導を行いながら調査が進められました。このモニタリング調査は、水環境、植生、ツル類を主とした希少鳥類の面から湿地を監視し、ダムの影響など外部から湿地への影響を把握すること、さらに、保護区とその周辺でツル類の重要な利用地域を明らかにすることが目的でした。この年の結果からは、保護区の外側や、農地造成の計画地にもツル類の重要な利用地域があることがわかってきました。ほかにも、川の水位が高く、自然湿地を利用できないときに、堤防の内部にある半自然湿地が利用されること、秋季にはマナヅルの渡りの中継地・集結地として利用されることなどがわかってきました。農墾総局の環境保護部門では、保護区外部にツル類利用地域があることを重視し、その地域の開発を停止することとしました。
 また、龍頭橋ダムの操業による影響を緩和するためのシステムを構築しました。モニタリング調査からダムの影響を判断し、その緩和方法を提言する評価委員会を設置しました。さらに、ダム管理者の水利庁、湿地の保護区を管理する農墾総局の環境保護部門、ダムの水を利用する地域の代表が集まる協調委員会を設立しました。以前、黒竜江省水利庁はこうした自然保護対策の実施に難色を示していましたが、息の長い説得が実を結び、影響緩和のための体制が構築されたのです。

図4:モニタリングによるツル分布
図4:モニタリングによるツル類分布の把握

 2000年には、農墾総局の上部組織である中国農業部に対して、本会専門家らが行った要請が受け入れられ、雁巣島・長林島保護区を管理するための予算が計上されました。これは、農業部が初めて自らの予算を割いて保護区管理に乗り出したという点で画期的なことです。これによって、移転された技術が継続的に実施されるための財政的基盤が確立されました。農墾総局では今後こうした予算を使い、モニタリング調査のみではなく、開発行為規制のために保護区の境界調査を実施することなどを検討しています。さらに、2001年の夏には、雁巣島・長林島保護区を含めた、三江平原の撓力河流域に、総面積90,000haの国家級自然保護区を設立するための申請が行われる予定です。三江平原におけるツル類の保護、そして湿地の保全は、まだようやく始まったばかりですが、ゆっくりと、けれど着実な歩みが進められています。

図5
図5:設立予定の国家級自然保護区(約90,000ha)
宇宙開発事業団(NASDA)提供



(かとう・かずあき/国際センター国際協力室)

日本野鳥の会機関誌『野鳥』 2001年6月号より
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