

市田則孝(国際センター)
金井 裕(研究センター)

【国後島】
それは美しい島であった。
国後島の古釜布湾で入域手続きを済ませたコーラル・ホワイト号は約4時間後、本当にゆっくりと色丹島の穴澗湾に入った。7月16日、時刻は13時50分。緑がしたたるような島の海岸をケイマフリがひんぱんに飛び交っている。ああ、ようやく北方領土に来たのだと実感した瞬間であった。
永年の夢だった北方領土の野鳥調査が実現したのは昨年の7月。シマフクロウやタンチョウが繁殖するだけでなく、たくさんの海鳥も見られる地域だ。エトピリカもいるに違いない。何とか早く調査して保護に役立てたいというのが私たちの願いであった。
野鳥調査団は通常のビザなし渡航訪問団に同行させていただいた。北海道根室港を出発したのは7月15日の夕刻であった。翌16日朝には国後島の中心地、古釜布に到着し、ここで北方領土に入るための手続きを行った。いわゆる「入域手続」である。ロシアの係官がモーターボートでやって来て訪問者の氏名や人数を確認する。今回の四島訪問団は色丹島と択捉島が目的地なので、国後島では船上の手続きだけだ。日本野鳥の会の調査団に同行するクリリスキー自然保護区のゴレゴリエフ所長もボートに乗ってやって来た。クリリスキー自然保護区は国設で国後島、色丹島、歯舞諸島に範囲がおよんでいる。
色丹島に上陸し、早速、調査を開始した。平坦な島であるが南東部の沿岸にたくさんの小島があり、絶好の海鳥繁殖地となっているという。この日は時間が無いのでミニ・バスでも行ける南東部のイネモシリ海岸に向かう。車の前をキジバト、ハクセキレイが横切る。イネモシリではノゴマ、ルリビタキが迎えてくれたが、海上に黒っぽい海鳥が点々と浮かんでいる。何だろうと望遠鏡を向けると、全部、くちばしが赤い。エトピリカの群だ。北海道ではほとんど見られなくなってしまっただけに調査団一同は大喜び。

【色丹島】
17日のイタコタン岬でもエトピリカは20羽まで同時に確認できた。岬からゴムボートで100メートルほど離れた小島に渡った。オオセグロカモメやエトピリカが繁殖している小島である。ボートから小島の崖に飛びつき、そこをよじ登る。崖の上から見下ろすと目の前を次々にエトピリカが飛んで行く。双眼鏡の視野の中で3羽、4羽というエトピリカが舞うのは、何とも息を飲むような光景であった。
たくさんのエトピリカを見て、同行した帯広畜産大学の藤巻先生がつぶやいた。「まるで40年前の北海道のようだ。」
もっと遠くの小島ではチシマウガラスなども繁殖していると保護区のガヤフスキー・レンジャーが誘う。2人がやっと乗れるだけのゴムボートはいかにも小さい。波はけっこう荒いし水も冷たい。それで一番若手の金井が代表で挑戦することになった。
色丹島内は道が悪く、道がいきなり川になったりする。ジープがないと行動が出来ないが、船で小島を一つ一つ調査できれば、海鳥の調査としては相当に面白い成果が得られるだろうと思われた。島は南側半分が保護区に指定されていて、保護区の周辺の海では漁業も禁止されているという。海鳥がたくさんいるのはそのためもあるのだろう。
島は全体がチシマザサなどに覆われた草原で、アカエゾマツの針葉樹林やダケカンバの広葉樹林などがパッチ状に点在している。森ではルリビタキの姿がもっとも目についたほか、ウグイス、アオジなども多かった。
もう一つの調査地の択捉島は、大変に大きな島で広大な森が広がっていた。ナヨカ湾の港に上陸するとオジロワシが上空で円を描いて歓迎してくれた。択捉島は時間の関係であまり多くの場所を調査できなかったが、主だったところでオジロワシの姿を見ることが出来た。グイマツという太い針葉樹がたくさんあるため、シマフクロウの繁殖の可能性は大いにあると思われた。日没後の森に行けば森の底に響くような声を聞くことが出来たかもしれない。しかし、ビザなし訪問では宿泊は船内と決まっているため、夕刻には船に帰らなければならない。それが大変に残念であった。もっとも、択捉島では道路からそれて一寸森の中にはいると、ヒグマの足跡だらけなので、夜の森に出かけるためには特別の勇気が必要だったかもしれない。
7月15日から20日というかけ足の野鳥調査だったが、海上を含めて65種を確認することが出来た。同行していただいたグレゴリエフ所長は、「国後島では多数のシマフクロウが繁殖しているし、ロガチョワ島では300つがいのエトピリカも繁殖している。こちらも是非、調査してほしい。」と熱心に勧める。本格的な調査をすれば、北方四島はどの島も豊かな鳥の島であることが確認されるはずだ。
一方、ロシア政府の財政難は保護区の予算を大幅にカットする結果となり、クリリスキー国立自然保護区は風前のともしびである。人員は減り調査費も調査器具も不足だ。その上、日露政府の合意で今年から日本漁船の操業が認められ、北方四島の海で日本漁船の漁業が始まっている。11月に行われた小渕・エリツィン会談でも経済協力を進めることが話し合われた。いろいろな経済活動が始まりそうである。しかし、わが国で唯一残った広大な自然地域であるとすれば、まず、その保護や保全対策が検討されるべきではないだろうか。エトピリカの浮かぶ海、シマフクロウが住む森を失う前に急いですべきことがあるはずである。国際センターでは来年度は国後島を調査し、その上で北方四島全体の保全計画を立てるための総合調査団を実現させるべく交渉を続けている。

【チシマウガラス】
[解説]
多数の野鳥が生息する北方四島の豊かな自然は国際的にも重要なものとして注目されている。そのため、日本野鳥の会国際センターでは1994年から北方四島の自然保護活動を本格的に開始した。この地区は野鳥や自然に関する情報が少ないため、同地区での総合的な自然調査の実施が必要である。四島に渡るにはビザなし渡航で渡るのが唯一の方法であるが、それは旧島民、返還運動関係者、マスコミの方々に限られており、研究者などは対象外であった。
日本野鳥の会は外務省に対してビザなし渡航のワクに研究者も入れるように要請したが、その許可を得るのに5年間の交渉が必要であった。その間、国後島で繁殖するタンチョウに国際ツル財団が関心を持ち、日本野鳥の会と共同での保護調査プロジェクトを計画、アメリカのマッカーサー財団の資金援助を得て事業をスタートさせた。北海道から、北方四島、カムチャッカ半島、アラスカを結ぶ渡り鳥の渡りのルート、いわゆるフライウエイに沿った保護区ネットワークを作ろうという計画がそれである。
今年、ビザなし渡航のワクが専門家にも広げられ、まず、野鳥調査が実現したわけであるが、ここに至る過程では安田火災海上株式会社地球環境室など実に沢山の方々にご協力を頂き、また、実施にあたっては環境庁、外務省、総務庁や北方四島交流促進全国会議の方々にご理解をいただいた。特に岩垂寿喜男・元環境庁長官(本会・保護と調査に関する委員会委員長)には全面的なご指導を頂いた。心から感謝申し上げたい。
今回の調査団は次のとおり:
市田則孝 日本野鳥の会国際センター (団長)
藤巻裕蔵 帯広畜産大学
金井 裕 日本野鳥の会研究センター
近藤憲久 根室市教育委員会
松尾浩樹 外務省
日本野鳥の会機関誌『野鳥』 1999年1月号より
Copyright (C) 1999 WING, Wild Bird Society of Japan
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