公益財団法人日本野鳥の会
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当会の活動

Strix

第21巻 掲載論文

上田恵介. 2003. 日本にオオセッカは何羽いるのか. Strix 21: 1-3.

  • オオセッカの現在日本で知られている本種の繁殖地のうち,比較的まとまった数が生息することが知られている青森県岩木川河口と屏風山周辺,仏沼干拓地,そして茨城県利根川下流域にて個体数調査を行ない,日本全体で現在オオセッカがどれくらい生息しているのかを推定した.
    仏沼では2001年 6月24日の調査では446羽,7月22日の調査では448羽が確認された(中道・上田 2003).7月15,29,30日に地域を分担して調査された岩木川河口周辺では142羽のさえずり個体が確認され,また屏風山地域(平滝沼,ベンセ沼,田光沼)では 9羽のさえずり個体が確認された(小林・小山 2003).利根川では 7月 5日に一斉調査を行ない,375羽のさえずり個体が確認された(永田ほか 2003).このさえずり個体数を最低個体数として扱うと,調査した 3か所で,さえずり雄が合計972〜974羽という結果になった.利根川では,河川敷の幅が広いため,堤防からの個体数調査では生息域全体を把握することができなかった.そこで,カバーすることのできなかった場所に生息するオオセッカの個体数を環境選好性を考慮して算出したところ,調査地全域で598羽という生息推定個体数が算出された.この環境選好性を考慮した補正個体数を採用すると,調査を行なったオオセッカの主な生息地である仏沼,岩木川周辺,利根川の最小推定値は1,195〜1,197羽となる.これは雄だけの数であるから,仮に性比が1:1と仮定とすると,繁殖期の成鳥の生息個体数は約2,400羽ということになる.ただし実際には,この 3か所の調査とも,繁殖期が進んでいて給餌中の雄のさえずり頻度が落ちていることも考慮すると,現在,日本列島にはざっと見積もって2,500羽強のオオセッカ繁殖個体群が維持されていると考えていいだろう.

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中道里絵・上田恵介. 2003. 仏沼湿原におけるオオセッカ個体群の現況と生息地選好. Strix 21: 5-14.

  • オオセッカLocustella pryeri は,関東北部のごく限られた生息地でこれまでに約1,000羽程度の生息しか確認されておらず,絶滅の恐れが危惧されている鳥である.本種の保全のためには正確な個体数を把握する必要がある.そこで2001年の繁殖期に,これまでに最も多くオオセッカの個体数が確認されている青森県三沢市の仏沼湿原一帯を調査地とし,現在の植生状況とオオセッカの個体数の調査を行なった.調査はオオセッカの繁殖期にあたる6月下旬と7月下旬に1回ずつ,各30名ほどの調査員が,さえずっているオオセッカの個体数と,植生,ヨシの高さ,そして野焼きの有無を地図上に記録した.
    オオセッカの生息地選好について,いくつかの環境条件との相関を解析したところ,オオセッカは,1.00〜2.20mの中程度の高さのヨシ原で,野焼きが行なわれて,枯れヨシの存在しないヨシ原に,より高い密度で生息していることが明らかになった.
    この10年間でのオオセッカの個体数の急激な増加は,1992年の時点では耕作放棄直後の休耕田だった場所が,生息に適したヨシ原に変化したことに起因していることがわかった

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永田尚志・上田恵介・古南幸弘. 2003. 利根川下流域におけるオオセッカの生息状況. Strix 21: 15-28.

  • 1976〜2003年の 4月下旬〜6月下旬(高標高地では 7月下旬)に北海道中部・南東部の608区画(5km×5km),調査路691か所でヒヨドリの生息状況を調べた.出現率は西部(61%)より東部(45%)で低く,とくに釧路地方で低かった.生息環境別の出現率はハイマツ林で 0%,常緑針葉樹林で23%,針広混交林で20%,落葉広葉樹林で44%,カラマツ人工林で48%,農耕地・林で71%,農耕地で50%,住宅地で70%であった.ヒヨドリはおもに標高500m以下に生息しており,標高501m以上では急激に出現率が低くなった.調査路 2kmあたりの観察個体数(平均値±SD)は,常緑針葉樹林では0.4±0.8羽,針広混交林で0.3±0.7羽,落葉広葉樹林で0.8±1.3羽,カラマツ林で0.4±0.9羽,農耕地・林で0.9±1.0羽,農耕地で0.4±0.9羽,住宅地で1.0±1.3羽で,生息環境によって違いがみられた.また出現率は温量指数の低い地域で低く,温量指数の高い地域で高いという明らかな関係が見られた.

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小林豊・小山信行. 2003. 青森県岩木川下流域におけるオオセッカの繁殖期の個体数. Strix 21: 29-34.

  • 青森県岩木川下流域におけるオオセッカの繁殖期の個体数を2001年 7月15日,29日,30日に調査した.岩木川下流域と屏風山地域で合わせて151羽のさえずっているオオセッカの雄を記録した.これらの結果から,オオセッカの性比が1:1として生息個体数を推計すると,岩木川下流域では約300羽,屏風山地域では約20羽となり,津軽地方での合計は約320羽となる.同様に過去の個体数を推計すると,津軽地方のオオセッカ生息数は1975年が500〜600羽,1980年代から1990年代は150〜300羽となるので,1975年から比較すると半数程度に減少しているが,1980年代以降の約20年間では年変動があるものの,ほぼ同数が生息していたことになる.これを地域別で比較すると,岩木川下流域はやや増加していることを示しており,屏風山地域ではやや減少していることになる.平滝沼,ベンセ沼では最近10年間に減少し,今回の調査では記録できなかった.湿地の乾燥化とヨシ原の縮小が屏風山地域における個体数の減少の原因と考えられる.

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鈴木弘之・芝原達也. 2003. 谷津干潟および周辺地域におけるシギチドリ類群集構造の変化. Strix 21: 35-52.

  1. 東京湾および千葉県内において多くの参加者によって1973年から1995年まで実施された水鳥を対象とした一斉調査から,「谷津干潟・京葉港地区」の春期と秋期および冬期のシギチドリ類を対象として,シギチドリ類の個体群の経年変化を分析した.
  2. 出現種の経年変化をみると記録された種数は合計47種であった.調査期間を1973-1975年(T期),1976-80年(U期),1981-85年(V期),1986-1990年(W期),1991-1995年(X期)に区切って比較すると,最も出現種数が多かったのはT期の秋期で35種,最も少なかったのはW期の春・秋期で19種であった.種数は秋期において有意に減少していた.この理由としては埋め立てに伴う埋立地内の湿地の減少によってこれらの湿地を利用していた淡水性のシギチドリ類が減少あるいは記録年の後期には出現しなくなったためと考えられる.
  3. 谷津干潟で留鳥あるいは冬鳥として区分したシロチドリ,ダイゼン,ハマシギ,イソシギ,セイタカシギを除く種を対象として,春期と秋期のシギチドリ総個体数の経年変化をみると,春期,秋期ともに有意に減少していた.
  4. それぞれの種について,単年度の最大個体数が10羽以上で連続2期以上出現している種を対象として,個体数の経年変化について直線回帰分析を行なった.この結果,春期については対象9種のうちメダイチドリ,キョウジョシギ,オバシギの3種が,秋期については対象20種のうちメダイチドリ,ムナグロ,キョウジョシギ,ツルシギ,アオアシシギ,タカブシギ,キアシシギ,イソシギ,チュウシャクシギ,アカエリヒレアシシギの10種が有意に減少していた.
  5. 冬期については,越冬個体数が多いシロチドリ,ハマシギ,ダイゼンのうち,シロチドリとハマシギは有意に減少していた.
  6. 今後,谷津干潟とシギチドリ類が行き来している三番瀬,茜浜等谷津干潟周辺地,および小櫃側河口干潟などの周辺地域を一まとまりとして長期的にモニタリングすることが重要である.また,同時にそれぞれの場所で環境変化や干潟の広さ,ベントスの変化などをモニタリングして,シギチドリ類の飛来状況との相関関係を調べることは,谷津干潟の生息環境に起因してシギチドリ類の飛来数が減少しているのか,それとも個体群が全体的に減少しているのかの判断材料となるだろう.さらに,フライウェイ全体のシギチドリ類の減少とそのメカニズムを明らかにするためには個体数のモニタリングや生態の研究など,繁殖地,通過地,越冬地の各地域で国際的に連携をとって実施される必要がある.

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内田康夫・島津秀康・関本兼曜. 2003. 都下自由学園周辺の鳥相変化と環境変動 -長期羽数調査の統計分析から-. Strix 21: 53-70.

  • 自由学園には1963年(昭和38年)から現在にいたるまで,バードセンサスの記録が保存されている.本研究において,1964年1月から1998年12月までの35年間のデータを統計的に解析,考察を重ねた結果,1960年代後半から1970年代後半において,自由学園周辺での急速な都市化と並行する形で,学園内で観察される野鳥種の構成が大きく変化する「種の入れ替わり」現象が起きていることを確認した.この入れ替わりには,それぞれの種の生態的特性ならびに環境適応力の相違が反映されていた.

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平野敏明・君島昌夫・小堀政一郎. 2003. 野火が冬期のチュウヒの採食行動におよぼす影響について. Strix 21: 71-79.

  • 2001年と2002年の1月から2月にかけて,渡良瀬遊水地において,野火によるヨシ原の焼失が越冬チュウヒの採食環境におよぼす影響を調査した.2001年のチュウヒの利用頻度は,3調査地区とも,焼失地の方が周囲のヨシ原より有意に少なかった.2002年のチュウヒの利用頻度は,3か所のうち2か所で,2001年に焼失した場所とヨシ原で有意な差は認められなかった.同一地域の利用頻度をヨシが焼失した2001年とヨシが回復した2002年とで比較した結果,2002年の方が有意に高かった.この分析結果はチュウヒがヨシの焼失地を採食場所として利用しないことを示している.したがって,毎年3月中旬に行なわれている一斉の火入れは,チュウヒの採食環境に著しい変化をもたらし,チュウヒが渡良瀬遊水地で繁殖しない原因となっている可能性が高い.

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加藤和弘・樋口広芳. 2003. 三宅島2000年噴火後の島の森林における鳥類群集. Strix 21: 81-98.

三宅島2000年噴火により,同島の森林に生息していた鳥類にどのような影響が出ているか,危険度の高い山頂周辺を除く島内各地で2001年2月より調査を続けている.現時点までの主な結果は以下の通りである.

  1. 噴火直後の越冬期には,島の南側の大路池周辺で多数のハシブトガラスがみられたものの,特に照葉樹林で鳥類の個体数は目立って少なかった.ヤマガラ,カラスバト,アカコッコでこの変化は顕著であった.2001年の繁殖期には,植生への被害が軽微な場所の鳥類群集は,噴火前とほぼ同じ程度にまで回復していた.一方これに対応して,噴火直後の神津島ではアカコッコが多くみられたが,その一年後にはほとんどみられなくなっていた.
  2. 三宅島の海岸付近から山頂方面にのびる林道7本を対象として,植生回復と鳥類群集の関係を調査した.樹木植被率と種数あるいは個体密度のあいだには概ね一定の正の相関がみられ,植生の被害が増すに従って鳥類の種数,個体数とも減少していた.回帰直線の傾きも時期によらずほぼ一定であり,Y切片は,広い範囲でイイジマムシクイが鳥類群集に加入していた分,繁殖期で越冬期に比べて大きかった.
  3. 林道沿いの調査結果にTWINSPANを適用して種組成の分類を行ない,植被率の低下に伴って種組成が変化するパターンを抽出した.越冬期には,鳥類が記録されなかった場所,コゲラやヤマガラなどがわずかに出現した場所,さらにシジュウカラ,ヒヨドリ,メジロなどが多くみられた場所,そこからヒヨドリが減ったもののカラスバト,アオジ,ウグイスがさらに高い頻度でみられた場所という系列が抽出され,植生回復に伴う鳥類群集の回復パターンと判断された.繁殖期にはイイジマムシクイがもっぱら出現した場所,さらにメジロ,ウグイスがみられた場所,ヤマガラ,シジュウカラ,コゲラ,ヒヨドリなどが加わった場所,アカコッコ,コマドリ,ミソサザイ,カラスバトなどがさらに加わった場所,という系列が認められ,同様に植生回復に伴う鳥類群集の回復パターンと判断された.

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石田健・高美喜男・斎藤武馬・宇佐見衣里. 2003. アマミヤマシギの相対生息密度の推移. Strix 21: 99-109

  1. 絶滅危惧種のアマミヤマシギScolopax mira の相対生息密度を,奄美大島と加計呂麻島の全域において,2002年3月に自動車センサスによって調べ,1992年の調査結果と比較した.
  2. アマミヤマシギは,外来種のマングースの生息密度の高い地域において密度が低かった.また,森林の分断化,道路拡幅,ゴルフ場開発,ゴミ捨て場の設置などが多く行われている龍郷半島において,10年間にもっとも著しく減少していた.
  3. アマミヤマシギは,1980年代まで森林の減少にともなって,1990年代からは外来捕食者の捕食圧増加が加わって,減少し続けていると推定される.

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山本浩伸・大畑孝二・山本幸次郎. 2003. カモ類の採食場所として冬期湛水することが水田耕作に与える影響 -石川県加賀市片野鴨池に飛来するカモ類の減少を抑制するための試みIII-. Strix 21: 111-123.

  1. カモ類の採食環境を提供するために冬期湛水と給餌を行なうことが,稲作に与える影響を調べた.また,農薬や肥料,米の収獲量についても記録した.
  2. 加賀市下福田町に,100×30mの水田3枚を用意し,水田1,2には1998年11月1日から1999年2月28日にかけて,冬期湛水と給餌を行なった.水田3には何も行なわなかった.
  3. 田起こし直前の時点で,水田内に生育していた雑草の量は,株数,重量とも水田1と水田3のあいだで有意な差があった.
  4. 冬期湛水と給餌を行なう前後で,水田1,3ともに土壌の硬度に差はなかった.
  5. 冬期湛水と給餌を行なう前後で,土壌中に含まれる窒素,リン酸,カリウム,石灰の量を比較した.いずれも,湛水終了後に増加していた.特に,リン酸は2倍近く増加していた.
  6. 水田1よりも水田3の方が収獲量が多かったが,水田1の米のほうが販売単価が高かったため,販売収入は2001年をのぞけば水田1の方が多かった.
  7. ガンカモ類の採食環境を維持していくためには,冬期湛水と給餌を行なう農家を増やしていく必要がある.そのためには,米の収獲量を安定させる方法の確立が必要である.

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渡辺朝一. 2003. 春の渡り期の農耕地におけるツルシギの採食地選択. Strix 21: 125-130.

  • 農作業に伴って現れる幾通りかのハス田の環境に対して,ツルシギの選好性がみられるかどうかを明らかにするために,本種の渡来期である1992年の春期に新潟県大口ハス田で調査を行なった.ツルシギは水田よりもハス田を選好していたが,ハス田の農作業の状態の選好性には一定の傾向は認められなかった.しかしながら,収穫後のハス田が少なくなった5月5日は選好されなかったものの,3月28日と4月18日には収穫後のハス田が選好されていたことより,レンコンの収穫がハスの枯れ茎を除去したり泥を掘り返したりすることによってツルシギが底生動物を探しやすくなったりするなど,農作業の影響が考えられた.

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植田睦之・平野敏明. 2003. ツミの交尾行動 −多数回交尾の適応的意義の検討−. Strix 21: 131-139.

  • 猛禽類は交尾回数が多いことが知られている.その多数回交尾の適応的意義を考察するために,東京都多摩地域および栃木県宇都宮市でツミの交尾行動を観察した.交尾頻度は抱卵10日前に頻度が低くなりそれ以前と以後に頻度の高い時期がある2山型のものと,抱卵20〜30日前に山があって,その後産卵に向かって減少していくもの(1山型)が多かった.
    今までに出されている多数回交尾の理由に関する仮説には「父性の確保」「食物との引き換え」「つがい相手の評価」「つがい相手を保持する」「つがいのきづなを深める」があるが,「父性の確保」は受精への影響が小さいと考えられる抱卵10日前以前の方が交尾回数が多いことから,少なくとも多数回交尾の主要な理由とは考えられない.「食物との引き換え」は,食物と関係しない交尾が約75%とほとんどを占めることから,重要でないと考えられる.「つがい相手の評価」「つがい相手を保持する」は調査地ではつがい相手を変更することが,ほとんどないので,あまり重要でないと考えられる.「つがいのきづなを深める」に関しては,肯定も否定もできなかった.

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佐野清貴. 2003. 石垣島におけるカンムリワシの繁殖生態. Strix 21: 141-150.

  • 2000年から2002年にかけて,石垣島西部の営巣地において,カンムリワシの繁殖行動を記録した.3年間とも同じ営巣木,ガジュマルが使われていた.しかし巣の位置は,毎年形状を変えるツルの塊に合わせて,より隠蔽効果の高い所が選ばれていた.つがいは雄は3年とも同一個体であったが,雌は判別できなかった.造巣行動は1月後半から3月後半に,日をおいて行なわれ,おもに雄が巣材を運び,雌が産座を整えた.巣材には営巣木の枝が使われることが多かった.交尾期は2月後半から3月後半で,採食地の水田近くや営巣木で何回も行なわれた.4月初めになると雌は抱卵に入り,ヒナがふ化する5月半ばまで,巣を離れることはほとんどなかった.抱卵日数は約45日であった.産卵数は不明であるが,ヒナの数は毎年1羽だった.ヒナのふ化後1,2週間すると,雌は巣から少し離れた枝で,雄が運んでくる食物を受け取り,ヒナに給餌したり,抱雛,巣材補充,外敵からの警護を行なった.給餌はおもに雌が行なったが,雄が行なうことも珍しくなかった.ヒナが幼綿羽から幼鳥羽に生えそろう6月後半になると,雌は雄と同じく狩りに出かけた.7月後半にはヒナが営巣木の周辺で枝移りをはじめ,営巣木を離れ,採食地の近くで狩りを試みはじめるのが8月半ばであった.しかしこの時期,狩りは失敗に終わることが多く,親鳥の給餌を受けていることがあった.その後の9月以降,親鳥の給餌は確認できていない.3年間で確認できた親鳥が運んできた食物は,カエル,カニ,トカゲが全体の50%を占め,その他は,多くの生物が幅広く利用されていた.

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杉山弘・斉藤満. 2003. 北海道天塩川中流域のオジロワシの繁殖状況と繁殖期の食物資源について. Strix 21: 151-158.

  • 道路建設を含む開発計画が進んでいる北海道天塩川中流域でオジロワシの繁殖状況を調査した.繁殖時期は北海道の海岸,湖沼よりも約半月から1か月ほど遅かった.また,春先の気温上昇の時期がオジロワシの繁殖開始時期に影響をおよぼしていることが示唆された.
    食物は魚が多く,種がわかったものはウグイ属とフナ属,カムルチー,コイ属であった.6月上旬までは河跡湖に生息する魚種が多く捕獲される傾向があり,天塩川支流の水深の推移から,この時期までは春先の雪解け水による増水期にあたり,河川での採食が困難であるために,河跡湖に生息する魚種が多いのだと考えられた.
    天塩川中流域におけるオジロワシ営巣個体と営巣環境の保全を考える上で考慮しなければならないことは,繁殖時期が他地域と異なることから調査や工事の時期を配慮すべきであること,採食の際にとまる河畔林の保全,増水期に重要な採食地になっていると考えられる河跡湖の保全があげられる.

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白井聰一. 2003. 水門の扉の底に営巣したチョウゲンボウ. Strix 21: 159-165.

  • 2002年4月1日から6月24日まで水門の扉の底に営巣したチョウゲンボウの繁殖生態を観察した.哺乳類などの捕食者からは安全な場所であったが,水門の稼動により巣が水没する危険性がある場所だった.しかし繁殖期間中に稼動することはなく,無事繁殖に成功した.
    抱卵はおもに雌が行ない,雄も行なったがその時間は1回あたり11.9分と短く,周りに侵入者がいるときは8.6分とさらに短かった.また,狩りは雄のみが行なった.
    給餌した食物はおもに小鳥類で,種を確認できたものでは,スズメが14例中10例と多かった.ほ乳類はハタネズミ1例のみだった.貯食も観察され,貯えられたものはすべて1日以内に利用された.貯食は育雛期に多かった.

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黒沢令子・松田道生. 2003. 東京におけるカラス類の繁殖状況. Strix 21: 167-176.

  • 2000年の繁殖期に東京の7か所で,カラス類の営巣密度,繁殖成功率,巣間の最短距離,営巣地の容積率,および営巣樹種を調べ,他の地方との比較を行なった.都心部ではハシブトガラスが優占しており,ハシボソガラスは郊外だけにみられた.東京では大阪府高槻市,北海道帯広市と比較してもカラス類の繁殖密度が高かった.繁殖成功率はハシブトガラスとハシボソガラスでそれぞれ49.2%と53.3%,平均巣立ちヒナ数はそれぞれ1.1羽と0.9羽だった.繁殖失敗の最大の要因は人為的な巣落としだったが,そのために巣立ちヒナ数が有意に低下するほどの影響はなかった.隣接する巣との最短距離は,ほかの地方よりも短く,ハシブトガラスが153.0m,ハシボソガラスが199.6mで,両者に有意な差はなかった.ハシブトガラスは繁殖密度が高いとなわばりを小さくして繁殖できる行動の柔軟性をもっていると思われる.また,東京のハシブトガラスは広葉樹に営巣する割合が高く,ほかの地方と異なる傾向がみられた.これはハシブトガラスが一定の高さと被覆性が確保されれば,その地域の優占植生の中で営巣場所をみつけるからだろうと思われた.一方,ハシボソガラスは容積率が低い,すなわち見通しのよい開けた場所に営巣していた.本調査地では,2種のカラス類はほとんど樹木に営巣し,人工物で営巣したのはそれぞれ1例づつと少なかった.したがって,東京のように都市化の進んだ地域ではカラス類の営巣資源はかなり限られている可能性がある.

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中村純夫. 2003. カラスの季節ねぐら −いつ,どこに,どれだけ−. Strix 21: 177-185.

  • カラスの集団ねぐらの調査を1989年12月より1993年1月まで大阪府北東部で行なった.調査地内には通年存在したねぐら(通年ねぐら)が2個,一年の特定の時期にのみ1か月以上連続して存在したねぐら(季節ねぐら)が9個あった.ねぐらの数と分布域には増加・拡大の位相と,減少・縮小の位相が認められた.冬期にねぐらの数は最も少なくなり,ねぐらの分布域は平地の2か所に限定されていた.早春に山際にねぐらが形成されてから盛夏に至るまで,ねぐらの数は増加してゆき,分布域は山間部深くにまで拡大した.盛夏に生まれたねぐらの配置は中秋まで持続した.中秋に山奥のねぐらは消滅して山際のねぐらが復活し,ねぐらの数の減少と分布域の縮小が始まった.更に晩秋から初冬にかけて,山際のねぐらも消滅して平地のねぐら2個だけという冬の配置に戻った.ねぐらの季節的な変動のパターンは3年とも安定的にくり返されたが,30例の季節ねぐらのうち1例だけこのパターンから外れた.また,ねぐらの成立・消滅時に就塒数は,1から数日の間に大幅に増減した.ねぐらの成立・消滅の日の増減は特に大きく,18例中15例で各ねぐらの平均就塒数の50%以上の増減が記録された.各ねぐらの成立・消滅の日は年によって変動し,2〜43日の変異があった.

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上田孝寿. 2003. 千葉県白井市におけるシラサギ類の集団繁殖地の観察記録(第 2報). Strix 21: 187-194.

千葉県白井市にあるシラサギ類(ダイサギ,チュウサギ,コサギおよびアマサギ) の集団繁殖地で個体数調査を1995〜2002年にわたって行なってきた.個体数調査から,日周変化,季節変化および経年変化をまとめた.主な結果は,下記の通りである.

  1. 1995〜2002年の8年間,5月下旬〜6月上旬に繁殖地に滞在した羽数(以下,春先の滞在羽数)は,それぞれ,770,730,880,940,1090,980,1050および1100羽である.
  2. 7月上旬〜下旬に繁殖地を利用した個体数が最大羽数を記録するが,この最大羽数は,上記の8年間のそれぞれで,1090,950,1030,1420,1600,1340,1830および1870羽であった.
  3. 集団繁殖地では子育てのために親鳥の出入りが盛んになる時期が観察されるが,その時期は,その年の4月の平均気温と有意な相関関係( r =0.80, P<0.05)があった.

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渡辺朝一. 2003. オオヒシクイによるヒシ属果実の採食. Strix 21: 195-206.

  • 滋賀県琵琶湖周辺の湖北地区,および新潟県朝日池において,オオヒシクイによるヒシ属果実に対する採食行動の観察を行なった.ヒシおよびオニビシの果実に対する採食行動が,主に越冬期の前半に観察された.採食方法としては枯死していないヒシ群落から果実をもぎ取る「もぎ取り食い」と,水底から果実を拾い上げる「拾い食い」が観察された.ヒシ属の果実を嘴にくわえたあと,嘴に挟んで果実を何回も回転させて,堅い外殻と鋭い棘を処理し,その後,嚥下した.琵琶湖湖北地区と朝日池を比較すると,オニビシが生育している朝日池よりもヒシが生育している湖北地区の方がヒシ属果実への依存度が高かった.ヒシの方が果実の大きさが小さく,棘が2本で形状も扁平であるのに対し,オニビシはヒシの果実よりも一回り以上大きく,棘も4本あり,それがオオヒシクイの採食行動に対する物理的な障壁となっており,このために,採食しやすいヒシがある湖北地区の方がヒシ属果実への依存度が高かったのだと考えられた.また,ヒシ属果実に対する採食習性が,ヒシクイにはほとんど見られないオオヒシクイ特有のものである可能性を指摘した.

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松原始. 2003. ゴミステーションへのネットかけがハシブトガラスの行動圏および繁殖成功におよぼす影響. Strix 21: 207-214

  • ゴミステーションのネットかけが,ハシブトガラスの行動圏におよぼす影響を調査した.調査を行なったハシブトガラスのつがいは,ネットかけから逃げるように行動圏を変化させた.また,有意な関係ではなかったが,行動圏内のネットがかけられていないゴミステーション数とハシブトガラスの繁殖成績には正の相関がみられた.ゴミステーションのネットかけによる利用できる食物の減少に伴って行動圏が変化し,繁殖成績も変化したものと考えられた.

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