トップメッセージ 2026年3月

2026年3月6日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

台湾は3000m峰が269座もある山の国
台湾は3000m峰が269座もある山の国

台湾探鳥旅行

2月初めに台湾へバードウォッチングに行ってきた。台湾はこれまでに何回か訪れたことはあるのだが、いずれも研究がらみでのんびりバードウォッチングというわけにはいかなかったので、今回は夫婦でのんびり台湾固有種を見ようと、関東のA市の「野鳥を守る会」(当会の支部ではない)の企画に参加させていただいた。きっかけはこの会のメンバーと妻が数年前のJBFで知り合いになったこと。その方との個人的なつながりで、台湾の鳥を見るなら、ということで今回の鳥見が実現した。会のメンバーと懇意にしている台湾の林(リン)先生に現地を案内してもらうというツアーである。

待ち合わせ

実は私は2日目まで仕事があったので、3日目から途中参加ということにして、阿里山の麓の埔里(プーリー)にある台湾紹興酒のワイナリーで落ち合うことになった。

東埔(ドンプー)温泉の朝市
東埔(ドンプー)温泉の朝市では野菜を売っていた

2日遅れで台北へ飛び、台北のホテルで一泊。台北のバスターミナルから埔里までは長距離バスが出ているので、それに乗って来いという。埔里には台湾紹興酒のワイナリーがあって、そこで合流できると言われた。若干、不安はあったが、まあなんとかなるだろうと思っていた。これが大きな間違いで、台北のターミナルのバス会社の窓口で切符を買おうとしたら、その時間のバスはないという。第一のピンチである。時間に遅れたら合流できず、台湾の地方都市で迷子になってしまう。だが幸運にも、たまたま早めにターミナルに行っていたので、約束の1時間半前に出発するバスにギリギリ乗ることができた。

次のピンチ。バスは埔里の紹興酒のワイナリーに着くといわれていたのだが、ワイナリーではなく、市中心部のバスターミナルに着いた。まわりを見渡したが、紹興酒のワイナリーはない。私は中国語は「你好(ニイハオ)」と「謝々(シェイシェイ)」しかできないが、近くにいたバス会社のお兄さんに、ここに行きたいとワイナリーの写真をみせたら、そこは歩いて15分くらいだが、市内バスがあるのでそれに乗れと親切に教えてくれた。なぜ話が通じたかというと、私はスマホは持っていないがお兄さんのスマホの翻訳機能で会話ができたからである。

それにしても、ターミナルの切符売り場のお姉さんもそうだったが、中国語のわからない日本人にも、皆、親切に接してくれる。言葉は通じなくても、なんとか意思は通じ合えるのが人類というものである。というわけで、やっとワイナリーにたどり着いて、ビールを飲みながら(紹興酒ワイナリーには試飲はなかった!)クロヒヨドリシロガシラを見ていたら、やっとツアー一行のバスが到着した。

ツアーで台湾料理を囲む。
ツアーで台湾料理を囲む。台湾料理はそんなに辛くも甘くもなく、野菜も多くてヘルシーだった

バスが出発するまで、東京の台湾代表部で副領事をしていた郭(カク)さんという方としゃべっていた。案内の林先生の知り合いで、たまたまバスに乗ってきたのだ。郭さんは日本語がペラペラで、日本社会のいろいろなことをよく知っているおもしろい方だった。日本語でダジャレを連発して、今話題になっているグリーンランドについては、アメリカが買うより日本が買えばいいという。「日本には北海“道”があるでしょう。だから“ぐりーんらん道”でいいじゃないですか」と(笑)。今は職を退いて、「台南で晴耕雨読です」と言っていたが、楽しいおじさんであった。

台湾は山の国

さて、日本人はあまり意識していないと思うが、台湾は山の国である。日本には3000mを超える山は、富士山、北岳、奥穂高と23座しかないが、九州の面積ほどしかない台湾の中央部の山岳地帯には、富士山より高い3952mの玉山(戦前の日本占領時は新高山(にいたかやま)と呼ばれていた) をはじめとする3000m峰が269座(!)ある。台湾の総面積の3分の2は山なのである。

台湾の山にはウンピョウやセンザンコウという日本には分布しない哺乳類もいるが、シカやイノシシをはじめ、カモシカ 、ツキノワグマ、サル(タイワンザル)など、ほとんど日本と同じ近縁種が棲んでいる。これは台湾がかつて大陸とつながっていた名残りの動物相で、日本列島とよく似た動物相を持った島国が台湾である。

寒緋桜
公園のあちこちには寒緋桜(カンヒザクラ)がちょうど満開だった

タイワンザル
タイワンザルはニホンザルそっくりだが、尻尾が長い(写真では見えませんが)

台湾の固有鳥類

山が多い台湾には、山岳地帯に取り残されている鳥の固有種も多く生息している。たとえばミカドキジ。ムラサキ色に輝く美しいキジ科のこの鳥は、日本のヤマドリに近縁のヤマドリ属Syrmaticusの鳥である。大陸に分布するオナガキジカラヤマドリも色彩はかなり異なるがヤマドリ属Syrmaticusである。前から思っていたことだが、カモ科とかキジ科の鳥では、性淘汰(メスによる選り好み)による形態の多様化が(地質学的には)かなり短い時間単位で生じているらしい。

里山にあったミカドキジのレリーフで記念撮影
里山にあったミカドキジのレリーフで記念撮影

本物のミカドキジ(上田明子撮影)
本物のミカドキジ(上田明子撮影)


台湾に生息する野鳥は87科686種(2022年の資料)、そのうち台湾固有種は32種、台湾固有亜種は 52種にもなっている。これは日本の固有(亜)種の種数に比べるとはるかに高い固有性である。台湾の鳥類の固有性の高さには、台湾が亜熱帯域に位置していることと、国土の大半が山岳地帯であることに起因していると思われる。タイワンゴシキドリやヤマムスメなど比較的標高の低い地域にも生息する固有種もいるが、固有種の大半は標高の高い山岳地帯に生息している。

アリサンヒタキ
アリサンヒタキ

ニイタカキクイタダキ
ニイタカキクイタダキ

そんなわけでたった3日間ではあったが、阿里山国家遊楽区(国立公園プラス観光地という指定区域)で、アリサンヒタキヤブドリシマドリニイタカキクイタダキズアカエナガなど、いろいろな固有種に出会うことができたが、32種の半分も見ることができなかった。昔から台湾に行ったら見よう、とずっと思っていたミカドキジにも会うことができなかったのは残念である(妻は大雪山保護区で、近距離からみたそうである)。また行こう!


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日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

鳥とウェルビーイング

この冬は、ツグミがとても多く見られます。昨冬はほとんど姿を見せなかったため、昨年1月14日の理事長メッセージでは生息状況の悪化を心配しました。しかしその不安は杞憂だったようです。今冬は11月上旬にはすでに、我が家のまわりの田畑に数十羽ものツグミが集まり、柿の実をついばむ姿が見られました。柿を食べ尽くした後は分散したのか、大きな群れは見られなくなりましたが、その後も毎日のように数羽が家の周囲を訪れています。

カキの実を食べにやって来たツグミ
カキの実を食べにやって来たツグミ

冬のあいだ、我が家の周辺にはツグミ以外にも、毎日顔を合わせるおなじみの鳥たちがいます。朝、犬の散歩に出ると、最初に迎えてくれるのは薪の上で虫を探すジョウビタキ。

薪の上で虫を探すジョウビタキ(メス)
薪の上で虫を探すジョウビタキ(メス)

畑に出ると、モズが餌を見つけたのか低木から地面に飛び降ります。ノスリが裏山のねぐらから「ピィー、ピィー」と大きな声を上げながら飛び出し、川べりのお気に入りの木の枝に舞い降ります。川面をのぞくと、「チィー」と鳴きながらカワセミが滑るように飛び、その先にはアオサギとダイサギが静かに佇んでいます。

こうした鳥たちとの出会いで始まる朝は、かけがえのない幸せな時間を私にもたらしてくれます。

低木にとまるモズ(メス)
低木にとまるモズ(メス)
お気に入りの枝にとまるノスリ
お気に入りの枝にとまるノスリ


鳥類の種多様性と幸福の関係

こうした日々を過ごすなかで、少し前に読んだ「ウェルビーイングと鳥の多様性」に関する研究を思い出しました。ウェルビーイングとは、身体的・精神的・社会的に良好な状態がそろった、いわば「幸福」と言い換えられる概念です。この研究はヨーロッパ全域を対象に、鳥類の種多様性と住民の生活満足度との関係を調べた初めての大規模分析で、その結果、鳥の多様性が高い地域ほど生活満足度が高いことが明らかになりました。

鳥の多様性が幸福につながる理由はまだ完全には解明されていませんが、研究では二つの仮説が示されています。一つ目は、鳥を「見る・聴く」という直接体験が人の心を豊かにし、ウェルビーイングを高めること。二つ目は、鳥の多様性は「良質な環境や景観の指標」であり、人にとって好ましい環境の象徴として働くということです。

この研究結果は、鳥や自然環境の保全が、人の幸福にとっても重要であることを示しています。鳥の減少は生物多様性の損失だけでなく、将来的には私たち自身のウェルビーイングを脅かす恐れがあります。これまでは鳥の多様性維持のために生息地保全が行われてきましたが、これからは人々の幸福のためにも、鳥や自然環境を守り育てていくことが大切になります。


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トップメッセージ 2026年1月

2026年1月9日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます!2026年の新春にあたり、日本野鳥の会の会員、サポーターの皆さまに新年のご挨拶を申しあげます。
皆さま、昨年も大きなご支援をありがとうございました。

日本野鳥の会 東北ブロック会議に参加して

私は年末に秋田の大潟村で開催された東北ブロックの総会に参加してきました。地元で子どもたちを集めて自然観察会を開いている元小学校校長の酒井 浩さんによる基調講演がありました。この講演で酒井さんは私たちの活動にも活かせるさまざまな経験を紹介され、とても充実した内容でした。わたしはそのあと鳥の一夫一妻についての話をさせていただきました(が、教科書的であまりおもしろくなかったかなと反省しております)。そのあと自然保護室の浦主任研究員が風力発電の問題についてわかりやすい解説を、普及室の箱田室長代理が最近の本部の活動を紹介しました。

2025年、大きな問題になったクマについては、東北の各支部がそれぞれの探鳥会運営の経験を持ち寄り、対策について話し合われました。クマが身近な存在である東北地方の支部ですから、支部によりクマにどう対処するかについて、さまざまな意見が出され、活発な議論が行われました。夜の懇親会では、毎年恒例の会員出品のオークションが開催され、大いに盛り上がりました。

1000羽のハクガンが舞う空

大潟村での探鳥会のようす"
大潟村での探鳥会のようす

次の朝、エキスカーションでハクガンを見に行きました。マイクロバスが止まると、数百メートル先の水田で採食しているハクガンの群れがいました。1000羽近い大きな群れです。かつては東京湾をはじめ、関東各地に飛来していたハクガンですが、明治期以降、おそらく強い狩猟圧によって、日本への飛来はほぼゼロになってしまった歴史をもっています。それがここまで回復したのは、「日本雁を保護する会」の皆さんの献身的な活動があったからです。なかでも呉地正行さんはハクガンとシジュウカラガンの日本への渡来を復活させるために、アメリカ、ロシアの研究者と共同で、前代未聞のガン復活プロジェクトを成功させたのです。

風車をバックにしたハクガン
風車をバックにしたハクガン

ハクガンのプロジェクトは、繁殖地で採取したハクガンの卵を日本に渡ってくるマガンの繁殖地に運び、マガンに抱かせて孵化したヒナたちが、“仮親”であるマガンたちに導かれて日本にやって来ることを目的としたプロジェクトでした。それがこんなに成功するとは呉地さん自身も思っていなかったそうです。

現在、日本で越冬するハクガンは2000羽以上に達しています。まさか日本の空にハクガンたちが戻る日が来るとは……。大潟村で1000羽のハクガンが空に舞っているのを見たとき、ガン類が狩猟鳥であった時代を知っている私にとって、まさに夢をみているような光景でした。

ハクガンの群れ
ハクガンの群れ

「ネイチャーポジティブ」への実現に向けて

しかし、いま世界では戦争や熱帯雨林の破壊、さらに温暖化にともなう大きな気候変動が生きものたちのすみかを奪い、生物多様性はかつてない危機にあります。この流れをなんとかくいとめ、2030年までに生物多様性を回復軌道にのせよう、そうした世界的な目標「ネイチャーポジティブ」の実現に向けて、日本野鳥の会も、国内の数多くの自然保護NPOや国際機関と共同して活動しています。2030年まで、もうあと4年です。

私たちは、シマフクロウやタンチョウの野鳥保護区の整備や、チュウヒ、シマアオジ、アカコッコ、カンムリウミスズメなどの絶滅危惧種の保護を進めながら、海洋プラスチックごみの問題や、風力、太陽光といった自然エネルギーのあり方にも、野鳥保護の視点から意見を発信して、真っ向から取り組んでいきます。

自然を守るには、たくさんの仲間の力が必要です。「野鳥も人も地球のなかま」を合言葉に、2026年も皆さまと一緒に、野鳥のすむ豊かな日本の自然を未来へつないでいきましょう。どうか、今年もお力をお貸しください。ご支援、ご参加をよろしくお願いいたします。


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日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

市町村の条例で自然豊かな里地里山を守る

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、新年のご挨拶から始めながら話は昨年末に戻りますこと、お許しください。

人と自然との共生へ向けた新たな一歩

私の住む栃木県市貝町には、サシバがすむ豊かな里地里山を守り、活かしながら、人と自然が共生するまちづくりを進めることを目的にした「市貝町サシバの里保全創造条例」があります(2024年4月1日施行)。この条例は、①保全地域の指定、②里地里山の利用促進、③希少な野生動植物の保護、という3つの柱で構成されています。

昨年12月、この条例にもとづき、私が運営に関わっている「サシバの里自然学校」の活動エリアの中心部、約6.5ヘクタールが、第1号となる「重要里地里山保全地域」に指定されました。

谷津田と山林
条例で保全地に指定された谷津田と山林

この地域は、細長く続く谷津田とその周囲の山林からなり、サシバをはじめとしてミナミメダカ(レッドリスト:絶滅危惧Ⅱ類)やオオムラサキ(同:準絶滅危惧)、キンラン(同:絶滅危惧Ⅱ類)などの希少な野生動植物の重要な生息・生育地となっています。これまで適度な利用(農林業や自然学校)と適切な環境管理が行われ、良好な生態系が保たれてきたことが評価され、今回の指定に至りました。

保全地に生息するミナミメダカ(絶滅危惧Ⅱ類)
保全地に生息するミナミメダカ(絶滅危惧Ⅱ類)
全地に生息するオオムラサキ(準絶滅危惧)
全地に生息するオオムラサキ(準絶滅危惧)

保全地に生育するキンラン(絶滅危惧Ⅱ類)
保全地に生育するキンラン(絶滅危惧Ⅱ類)

指定後は、宅地造成や建築、土砂の採取などの開発行為を行う際には町長の許可が必要となり、里地里山の保全がより確実なものとなりました。なお地権者の方には一定の規制がかかる一方で、保全区域内の土地については、固定資産税相当額が奨励金として支払われます。

また、保全区域内では希少な野生動植物の生息・生育環境の維持・改善を図るために、保全計画にもとづいた環境管理活動を推進します。例えば、水田周辺の草刈り、森林内の草刈りと除伐、土水路の維持管理、必要に応じた外来種の駆除などです。サシバの里自然学校がそれを担いますが、町長から「里地里山保全団体」として任命されると、管理活動に必要な経費の助成を受けることができます。


土水路の維持管理作業(法面の草の刈払い)
土水路の維持管理作業(法面の草の刈払い)

今後も、農林業の営みによって育まれてきた市貝町の美しい景観や生態系、そして地域文化を次世代へ引き継ぎ、自然と調和した住みよい郷土づくりを進めるために、この条例にもとづく保全地域がさらに広がっていくことを期待しています。

日本野鳥の会ビジョン2030

日本野鳥の会では、2030年を目標に、①絶滅危惧種の保護と野鳥の生息地保全、②地域の自然が地域の手で守られる社会の実現、③生きものや自然に配慮したエネルギーシフト、④自然への理解者の増加、⑤自然保護を担う次世代の育成、という5つのビジョンを掲げています。今回紹介した市町村の条例での取組みが、②「地域の自然が地域の手で守られる社会」の実現につながる事例として、皆さんのお役に立てれば幸いです。

これからも当会は、地域の支部や野鳥保護団体、行政、そして地域の皆さんと力を合わせ、人と自然がともに生きる社会づくりに取り組んでまいります。
本年も、変わらぬご支援をどうぞよろしくお願いいたします。


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トップメッセージ 2025年11月

2025年11月10日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

日本鳥学会2025年度大会、おもしろい研究を紹介

今年の夏も酷暑でしたが、会員、サポーターのみなさま、お変わりなく、元気に鳥を見て(聞いて)おられるでしょうか。11月になり、北の国からはハクチョウやガンたちの便りが聞かれます。冬の小鳥たちも出そろって、いよいよ冬ですね。

久しぶりの口頭発表と興味をひかれたノスリの研究

私はこの秋に、札幌の北海学園大学で開催された日本鳥学会の大会に参加して、久しぶりに口頭発表をしてきました。鳥学会で発表するのはもうかれこれ20年ぶりくらいでしょうか?大学にいるときは、学生院生たちが発表してくれるので、私は共著者になっているだけで、自分ではほとんど発表してきませんでした。

今回の発表は私の研究室に在学して修士論文を仕上げたSさんによる、飼育下ペンギンの同性ペアに関する未公開の内容です。この研究については、つい先日、どこで知ったのかアメリカの研究者から問い合わせがあって、これはぜひとも公表しておかなくてはと思った次第です。

自分でもとてもいい内容だと思っていたので、質問の答えも用意していたのですが、久しぶりの口頭発表だったので時間配分がまずく、質問時間が取れなかったことが反省点です(このペンギンの論文は現在、山階鳥類学雑誌に投稿中です)。

口頭発表会場の様子
口頭発表会場の様子

日本鳥学会2025年度大会プログラム
日本鳥学会2025年度大会プログラム(要旨集)

さて今回、口頭発表でおもしろい発表がたくさんあったのですが、その中で私がいちばん興味をひかれた発表を紹介しておきます。それは北九州市立自然史・歴史博物館(いのちのたび博物館)の中原亨さんによる九州地方で越冬するノスリの研究です。

九州地方で越冬するノスリは大陸からの越冬個体も多いのですが、なぜかいつも2羽が仲良く行動していて、この2羽はどういう関係なのだろうかという発表でした。DNA解析でこのペアはオスとメスだということがわかっていました。さらにGPS発信器をつけて追跡したところ、繁殖地を特定することもできました。ところが冬にペアになっていたこの2羽は当然同じ繁殖地に戻って繁殖するのだろうという予想に反して、1羽は大陸に、もう1羽は東北地方に戻って、そこでまた別のつがいを作って繁殖したらしいのです。冬のこの2羽はどんな関係にあったのでしょうか?

ポスター発表の充実と若い才能

ポスター発表は140題にものぼりました。さすがに全部は見切れませんでしたが、興味深い発表がたくさんありました。小中高校生のポスター発表も21題と多く、中にはとてもレベルの高いものもありました。

たとえば愛媛県立今治西高校の木原さんの発表は、四国沿岸に漂着するオオハム類の羽を回収して、その枚数と特徴から、四国沿岸の瀬戸内海で越冬するオオハムの個体数を推定するという、高校生とは思えない大胆かつ科学的なテーマで、とても感心させられました。

小学生の発表にもおもしろい発表がありました。都内の公園の池に生息しているカイツブリを複数年にわたって顔の模様で個体識別して、その社会関係を明らかにするという、むさしの学園小学校の櫻庭君の発表です。そもそも野外で鳥を顔だけで個体識別できるとは、ほとんどの研究者は思っていません(だからカラー足輪を装着したりするのです)。けれどカイツブリについては、1羽1羽、顔のアップの写真を示して説明されると、個体ごとにはっきりした違いがあることがわかります。しかもそれが年を経ても同じ模様であるということまで、櫻庭君は突き止めているのです。すごいなと思いました。

正富宏之先生や藤巻裕蔵先生、阿部 学先生が参加されていたのも、私たち高齢研究者の励みになりました。研究者は死ぬまで現役です。正富先生、藤巻先生、阿部先生、いつまでもお元気で!

黒田賞受賞者の活躍

大会では今年度の黒田賞の受賞講演がありました。受賞者は岡久雄二君。立教大学の私の研究室でキビタキの研究で博士号を取った優秀な若手研究者です。黒田賞は日本の鳥類学の発展に貢献した黒田長禮・長久両博士の功績を記念して、鳥類学で優れた業績をあげ、これからの日本の鳥類学を担う本学会の若手・中堅会員を対象に授与されます。

岡久君は卒業後、環境省の野生生物専門員として10年にわたって佐渡におけるトキの野生復帰事業にたずさわり、放鳥個体群の科学的評価にもとづいて保全施策を推進し、科学的評価にもとづく順応的管理を推進することでトキの野生復帰を成功に導きました。急激に個体数が減っているアカモズについて、長野県を中心として行政・研究機関・地域住民・動物園などを巻き込んだ保護プロジェクトを組織して着実に成果を上げています。

岡久君は研究室にだけ閉じこもることなく、野生鳥類の保全のために広く個人、組織を巻き込んでプロジェクトを進めていけるリーダーになってくれました。大学院で彼を指導した一教員として、とても誇らしく思っています。

最後に、日本鳥学会はむずかしいことばかり言っている学者だけが集まっている学会ではありません。実用技を学ぶ「鳥の教室」や「公開講演会」、大会の前後に開催場所の近くの鳥のスポットを訪れるエクスカーションもあります。小中学生も、シニアも、鳥が好きで鳥のことをもうちょっとだけ知りたい、野外で鳥がこんなことをしていたけど何の意味があるのだろうというような、ちょっとした疑問をもたれた方は、どうぞ学会の大会に参加してみてください。

大会会場の北海学園大学
大会会場の北海学園大学


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日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

「国際サシバサミット2025宇検村奄美大島」に参加して

サシバサミット会場入り口にて(右が上田会長、左が私)
サシバサミット会場入り口にて(右が上田会長、左が私)

10月25日、26日の二日間、鹿児島県奄美大島・宇検村で開催された「国際サシバサミット」に参加してきました。同行したのは、上田会長をはじめ、私の地元・栃木県市貝町の町長や職員、そしてサシバの調査・保護をともに進めているオオタカ保護基金の仲間たちです。

このサミットは、絶滅危惧種であり渡り鳥でもあるサシバの保全と、それを活かした地域づくりを目指して始まった国際的な取り組みです。2019年、栃木県市貝町での第1回を皮切りに、2021年は沖縄県宮古島市、2023年は台湾・満州郷、2024年はフィリピン・サンチェスミラ市と、繁殖地・中継地・越冬地を巡りながら続いてきました。そして今回、5回目となる大会が、6年ぶりに日本の地で、しかも対面で開催されました。会場には約850人もの参加者が集い、南国の空気の中に熱気と希望が満ちていました。

野鳥写真家や国内外の専門家、子どもたちの発表

初日は基調講演や海外からの報告、小中学生による発表が行われました。なかでも印象深かったのは、宇検村出身の野鳥写真家・与名正三氏らによる講演「サシバはなぜ奄美大島を越冬地として選ぶのか?」です。島の約7割を占める照葉樹林にエサとなる多くの小動物がすみ、ねぐらとなる沢が多い、そのような豊かな自然環境が2000羽を超えるサシバの越冬を可能にしていると話されました。

また、フィリピンや台湾からは、無計画な再生可能エネルギー施設の設置が渡りルートや生息地を脅かす懸念が報告され、一方で韓国からは繁殖や観察の事例が増えているという明るい話題も届けられました。さらに、奄美大島、市貝町、宮古島市の小中学校による発表(市貝と宮古島はビデオレター形式)では、子どもたちの元気あふれる声が響き、サシバを愛し守ろうとする輪が世代を超えて広がっていることに深く胸を打たれました。

基調講演を行う与名正三氏ら
基調講演を行う与名正三氏ら

サシバ保全を通じて持続可能な未来をつくる

二日目は、日本、フィリピン、台湾の各地からサシバの生息地を抱える首長が集まり、「首長サミット」が開かれました。議題は、サシバの保全を通じた地域づくり。農業や観光、教育など、地域の特色と結びつけながら持続可能な未来をどう描くかが、議論されました。

最後には、(1)サシバなどの渡り鳥とその生息地の生物多様性保全、(2)自然資源の持続的活用と地域課題の解決、(3)次世代への教育と文化の継承、(4)顔の見える国際交流とネットワーク拡大の4項目からなる「サミット宣言」が採択されました。

サミット宣言を行う首長ら
サミット宣言を行う首長ら
エキスカーションでサシバとその越冬環境を観察する
エキスカーションでサシバとその越冬環境を観察する

今後も、このサミットが、サシバのように国や地域をつなぎ、豊かな自然と文化を次の世代へと渡す架け橋となることを願ってやみません。次回、第6回国際サシバサミットは、2027年春、サシバの中継地・越冬地であるフィリピン・ヌエヴァ・ヴィスカヤ州で開催される予定です。


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2025年9月2日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

根室の野鳥保護区を行く

7月末に北海道に行って来ました。根室地域での野鳥保護区の視察です。釧路空港では苫小牧グループの松本チーフレンジャーと石川レンジャーが出迎えてくれました。前日までは北海道も暑かったようですが、私たちが着いた日からずっと気温は22℃くらいで、お天気も良く快適な視察になりました。

空港から釧路湿原の横を通り、根室に向かったのですが、気になったのは湿原沿いに次から次へとメガソーラーが現れることです。釧路湿原の中でも国立公園になっているところは保護され残されていますが、周りの私有地ではメガソーラー建設がどんどん進んでいて、丘の斜面をメガソーラーが埋め尽くしているところもあり、「ああ北海道もこうなっているのか」と愕然としました。北海道農業の苦しい現実もわかりますが、放棄され自然が戻りつつある農地や牧草地、山林をメガソーラー企業に安く売却・貸与してしまうことが、将来的に(観光だけではなく)北海道の価値そのものを低下させていくと私は思っています。

別寒辺牛湿原の野鳥保護区

さて日本野鳥の会が北海道を中心にもっている野鳥のための保護区(サンクチュアリ)はすでに4000haを超えています。しかしサンクチュアリは1カ所に集中しているわけではなく、タンチョウとシマフクロウの生息場所を中心にして、北海道各地に点在しています。

まずそのうちのひとつ、別寒辺牛(べかんべうし)湿原を訪ねました。この湿原は厚岸(あっけし)から少し根室方面へ行ったところの厚岸湖と繋がる低層湿原で、ラムサール条約湿地の厚岸湖・別寒辺牛地区に含まれています。大別川沿いに厚岸水鳥観察館があります。観察館の展示室にはビデオカメラがとらえた湿原の映像を大画面で見られるシステムがあり、私たちが行った時も水辺の鳥たちの姿をアップで見ることができ、楽しめました。この湿原ではタンチョウが繁殖しているほか、冬になるとオオハクチョウやカモ類の渡りの中継地、越冬地になっています。

別寒辺牛湿原
別寒辺牛湿原

渡邊野鳥保護区ソウサンベツ

渡邊野鳥保護区ソウサンベツでは、作業道や記念碑の維持管理の現場のほか2008年から実施している森づくり実施地を視察しました。植樹地ではエゾシカの食害対策や流出した土壌の復元など、職員たちの長年にわたる試行錯誤の苦労を聞くことができました。

他の場所ではありますが、当会が日本製紙株式会社と協定で保全しているシマフクロウの野鳥保護区には直径2m以上の巨木が林立しています。ソウサンベツの小さな木々を見て、この厳しい北海道の環境で巨木になるまでには相当な時間と労力がかかることを実感しました。

初めての風露荘

到着した日から3日間、鳥好きの間では有名な「風露荘」に宿泊しました。風露荘は鳥好きの高田勝さんご夫妻が始められた民宿で、勝さん亡き後は奥様と娘の令子さんのお二人で支えておられます。私はこの民宿のことを昔から知っていました。それは勝さんの著書『ニムオロ原野の片隅から』(1979, 福音館)を読んだからです。それ以来、北海道に行って根室の自然と鳥を見るなら、ここに泊まろうとずっと思っていました。憧れの民宿だったのです。けれど大学に就職してからは鳥の研究で忙しく、“のんびり鳥を見にいく”ことができないまま時が過ぎてしまっていました。今回、やっとその夢が叶って、風露荘に来ることができました。

夜の懇親会には、松本チーフレンジャー、石川レンジャー、日本野鳥の会根室支部の加藤支部長と金澤副支部長、春国岱原生野鳥公園の掛下チーフレンジャー、根室市資料館の外山学芸員、私の大阪支部時代からの鳥仲間で、今は中標津に住んでいる福田君も合流して楽しく盛り上がりました。

憧れの民宿で鳥仲間たちと
憧れの民宿で鳥仲間たちと

霧多布岬のラッコ

崖の下とその先の海面に浮かぶラッコ
崖の下とその先の海面に浮かぶラッコ

掛下レンジャーの案内で霧多布まで足を延ばしてきました。霧多布の街中を過ぎて坂を上ると、キャンプ場の前を通って岬の突端の駐車場まで車で行くことができます。車を降りて灯台まで続くトレイルで、崖の下を見ると波間にラッコが浮いていました。ラッコは岬のまわりに5頭いるそうですが、この日、見れたのは2頭だけでした。

岬のはずれの岩棚や岩礁では、オオセグロカモメとウミウがヒナを育てていました。岩棚に1羽のケイマフリがいるのを見つけました。掛下レンジャーの話によるとここでは沖合いで見かけることはあるが、崖にとまっているのは見たことがなく、「よく見つけましたね」と感心されてしまいました。そのあと霧多布の湿原センターに寄り、ついでに厚岸の道の駅にも寄って、美味しい生牡蠣を食べて帰ってきました。

春国岱

夕方、掛下レンジャーと大久保レンジャーが勤務している春国岱(しゅんくにたい)のネイチャーセンターに寄り、エクソンモービル野鳥保護区のある春国岱を歩いてきました。春国岱は風蓮湖を海と隔てる東側の大きな砂嘴で、その上にはアカエゾマツやトドマツの森が発達しています。砂嘴には、ウラギクやアッケシソウ、コウボウムギやコウボウシバなど、海浜植物の群落が発達しています。湿地の上を木道が森まで続いていますが、厳しい自然環境により木道がたびたび壊れるので、管理が大変とのことです。

かつて海の近くまで林が広がっていた場所は、地盤沈下によりアカエゾマツが立ち枯れて湿地状になり、あまり人を恐れないエゾシカの群れが水辺の草を食べていました。子連れのメスもいて、赤ちゃんが母ジカにお乳をもらっていました。一方、エゾシカによる食害が問題になっており、ウラギク保護のためのケージが設置されていました。遠くの丘の上の木にはオジロワシがとまっていました。

エゾシカの親子
エゾシカの親子

エゾシカの食害からウラギクを守るためのケージ
エゾシカの食害からウラギクを守るためのケージ

最終日はもう一度春国岱へ。タンチョウのつがいやオジロワシ、ホウロクシギたちが姿を見せてくれました。海辺から塩性湿地、そして海岸林へと続く生態系のグラデーションは、本州にはないとても興味をそそられる景観でした。あらためて、道東(根室地方)の自然の豊かさを感じる旅でした。春国岱での観察のあと、羽田行きの最終便に乗るために釧路空港まで掛下レンジャーに車で送ってもらいました。レンジャーの皆さん、地元でお世話になった方々、どうもありがとうございました。

北海道の視察ルートを示した地図

①別寒辺牛湿原野鳥保護区
渡邊野鳥保護区ソウサンベツ
⑤春国岱

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今回訪れた道東地域の様子は「地球探索鉄道 花咲線」の動画で紹介されています。ぜひご覧ください。


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日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

里山の秋を彩る花たち

キキョウ
キキョウ

まだまだ猛暑が続いていますが、この時期になると里山は夏の深い緑から、黄金色の稲穂が輝く秋の景色に変わり始めます。そして、山間の林に囲まれた谷津田*1の野辺には、さまざまな花が咲きだします。秋の花には私の好きな紫色系が多く、晩秋まで里山歩きを楽しませてくれます。今回は、そんな私の「推し花」を紹介します。

秋と言うよりまだ夏、7月下旬から開花するのはキキョウ。秋の七草としてもよく知られ、昔から秋の風物詩として親しまれてきた青紫色の美しい花です。しかし、いまではほとんど見られなくなり、絶滅危惧種に指定されています。

8月に入ると、ワレモコウとツリガネニンジンが開花します。この2種は10月まで花が見られ、長い期間目を楽しませてくれます。ワレモコウの花は赤紫色。花は穂状に咲き、多数の小花が密集しています。ツリガネニンジンは、すらっと伸びた茎の先に、薄い青紫色の釣鐘のようなかわいい花が下向きにたくさんつきます。この2種が、ススキと一緒に風にそよぐ姿は、まさに秋の風情を感じさせます。

ワレモコウ
ワレモコウ

ツリガネニンジン
ツリガネニンジン

秋が深まってきた10月に入ると、少し湿った草地にヤマラッキョウが咲きだします。紅紫色の小花を多数付けた球状の花が、茎の先についているとても美しい花です。そして、10月中旬から11月上旬、最後に咲くのがリンドウ。少し肌寒い晩秋の澄んだ空気の中、青紫に輝いて咲く姿は、凛としたすがすがしさがあり、見惚れてしまいます。リンドウは私のみならず、多くの日本人に好まれる花ではないでしょうか。

ヤマラッキョウ
ヤマラッキョウ

リンドウ
リンドウ

今回紹介した花は、みな日当たりの良い土手や斜面の草地などに生育する植物です。丘陵地に囲まれた谷津田では、田んぼ脇の土手だけでなく、日当たりを良くするために、すそ刈りといって林の下部も定期的に草刈りをします。するとそこが草地となり、上記のような植物が生育するのに適した環境になります。しかし近年、作業効率が悪い谷津田は耕作放棄されることが多く、それにともなって草地も減少し、これらの植物も姿を消しつつあります。

そこで、私が所属するNPO法人オオタカ保護基金では、そのような里山の草地性の植物を保護するために、放棄された谷津田を復元して稲作を行ったり、湿地や草地として管理したりしています。田んぼの土手は稲の生育のために年3~4回、斜面林のすそはそこに生育する植物の性質に応じて年1回ないし2回の草刈りを行っています。

秋の谷津田
秋の谷津田

今年も実りの秋を迎え、谷津田では稲が穂をたらし、野辺ではさまざまな花が咲き始めました。日本の原風景ともいえるこのような里山環境をいつまでも残していきたいと思います。

*1 谷津田:
丘陵地の細長い谷(谷津)を利用してつくられた田んぼ。「谷地田」または「谷戸田」ともいう。


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トップメッセージ 2025年7月

2025年7月1日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

大阪湾でシギ・チドリを見ていた頃

その昔、大和川、淀川、神崎川、武庫川と多くの河川が流れこんでいた大阪湾にはヨシの生える後背湿地をもった広大な干潟が広がっていた。こうした干潟は江戸時代からの新田開発によって、どんどん縮小していったが、大和川の河口干潟の住吉浦は最後まで残っていた。榎本佳樹や小林桂助が鳥の観察や鳥類標本の採集に通っていた、大阪におけるシギ・チドリ観察のメッカであった。

片道30キロ、自転車でシギ・チドリ観察へ

私が干潟のシギ・チドリの観察を始めたのは、高校2年生の時である。鳥好きの高校生3人組(平松君と木村君と私)は、日本野鳥の会大阪支部で知り合った西村さんに誘われて大阪湾の神崎川河口湿地にシギ・チドリを見に通った。西村さんは私たちより二年先輩だった。高校を卒業して、何をされていたのかは知らないが、私たち同様、高校の時の仲間2人(林さんと熊谷さんだったと思う)と3人組で、鳥を見ることに情熱を傾けている変なお兄さんだった。

私は自宅のあった寝屋川から片道30キロの道乗りを、朝早くから自転車をこいで淀川の堤防上を走って、鳥を見に中島町へ通ったものである(若い時は体力あったなあ!)。中島町に初めて行った時にウズラシギを見たこと、アカエリヒレアシシギが意外と小さいなということを知ったこと、それとなぜか海岸部なのにタマシギの巣があったことをよく覚えている。

シギ・チドリの観察に夢中になった高校時代。左から2番目が上田会長
シギ・チドリの観察に夢中になった高校時代。左から2番目が上田会長

大阪湾のゴミ処分場がフィールドに

高度経済成長の時代、大阪湾では埋め立てがどんどん進行し、その過程で干潟が造成されてシギ・チドリがたくさん来ているらしいというので、大阪南港へ足を伸ばした。さすがに自転車では遠すぎるので、梅田から地下鉄四つ橋線で玉出まで行き、そこからバスで住吉の消防署前まで行き、さらに炎天下、延々1km近い道を歩いて観察ポイントまでいくのである。

その頃の大阪南港は大阪市のゴミ処分場であった。分別なしで、生ゴミもプラスチックも一緒くたに海辺に積み上げられ、腐臭が漂っていた。私たちはゴミの匂いに包まれた8月のかんかん照りの埋め立て地で、干潟に足を取られて泥だらけになりながら、鳥を見ていたのである。泥んこの長靴は、バス停の前にあった住吉消防署で、水道を貸してもらって洗って帰っていたが、地下鉄の車内で、長靴を履いた一行は、絶対、奇異の目で見られていたと思う。

南港はシギ・チドリの渡来時期に限らず、私たちのフィールドになった。我ら3人と西村さん、そして大阪支部の有田さん、塩田さん、辻田さんら常連の7人は、“南港7人のサムライ”と呼ばれていた。

長靴を脱ぎ、ホッと一息
長靴を脱ぎ、ホッと一息

当時のシギ・チドリたち

ハマシギやトウネンの1000羽を超える群れや、ホウロクシギやダイシャクシギなど大型のシギもいた。アメリカウズラシギ、ヒバリシギ、キリアイ、オジロトウネンなど、識別のむずかしいシギたちの識別法もここで覚えた。セグロアジサシやハシブトアジサシを見つけたこともあった。冬はコミミズクを見によく通ったものである。

ある日南港に行くと、2羽のセイタカシギがいた。初めて見たセイタカシギだったが、飛んだところを写真に収めることができた。この記録は写真とともに、『野鳥』誌に報告した。後で考えると、この雌雄のセイタカシギはもしかしたら南港で繁殖していたのかもしれない。

もう一つ、シギの中で私が一番印象に残っているのはコシャクシギである。一人で南港に出かけ、チュウシャクシギがよく降りている草原を歩いていたとき、6羽のコシャクシギが降りているのに遭遇した。コシャクシギはかなりの珍鳥であるし、私にとっても初めての鳥であった。それが6羽もいる!感動の一瞬であった。私はこの時以来、コシャクシギを見ていない。

南港で初めて見たセイタカシギ
南港で初めて見たセイタカシギ

干潟消滅の危機、「南港の野鳥を守る会」を結成

そんな中、南港はどんどん埋め立てが進み、シギ・チドリの集まる干潟は海側へと後退して、消滅の危機にさらされていた。観察が一段落して、皆で弁当を食べている時、西村さんが「守る会を作ろうか」と話しはじめた。西村さんは干潟を守ることの大切さを、8月の南港の暑さよりも熱い情熱をもって語ってくれた。

この時代、野鳥の会の支部はまだまだ“趣味の会”の域を出ず、「自然保護」運動をするのには抵抗を示す人たちも多かったのである。だから別の会を作ろうということになって、「南港の野鳥を守る会」の結成が決まった。1968年のことである。会には酒井さん夫妻が加わり、酒井健さんが会の事務局長的な役割を引き受け、会長には当時、靱(うつぼ)公園にあった大阪市立科学博物館の館長の筒井嘉隆先生(SF作家の筒井康隆のお父さん)に来てもらうことになった。

守る会の事務所は箕面市瀬川の酒井さん夫妻のお宅に置かせてもらったので、酒井さん宅は私たちグループのたまり場になり、毎週、若い会員たちが集まっては活動について話し合っていた。

会の活動方針は、当時東京湾の干潟の保護運動をしていた蓮尾順子さんら“新浜3人娘”が活躍していた「新浜を守る会」、そして私と同じ年の花輪伸一さんらが活動していた仙台の「蒲生干潟を守る会」の活動を参考にさせてもらった。とりあえず南港のシギ・チドリの絵葉書を作って販売して活動資金を稼ぎ、署名運動をして、それを大阪市に届けようという“割と安易な”活動方針が決まった。

署名は野鳥の会の会員、その家族や友人、さらには休みの日には大阪駅前に皆で署名版を持って立ち、道行く市民から署名を集めた。そして最終的には8400名の署名が集まった。

署名活動のようす
大阪駅前での署名活動のようす。後ろは阪神百貨店

当時の大阪市長は中馬馨氏、助役(副市長)が大島靖氏であった。実は大島氏は筒井先生の三高(京大)時代の後輩であったことから、私たちは筒井先生とともに署名をたずさえて大阪市役所を訪ね、助役室で大島氏に野鳥公園設置について話を聞いてもらった。

南港野鳥園設置の署名はすぐに市長に届けられ、中馬氏はその年の2期目の市長選に野鳥園の実現を選挙公約に掲げて再選されたのである。1971年のことであった。

南港野鳥園の実現にはいろいろ苦労もあったが、後で振り返ってみると割と簡単に決まったようにも思う。若いメンバーの活躍は大きかったが、酒井夫妻、筒井先生の人脈や当時の社会情勢によるところも大きかったのだと思う。ラッキーであった!


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日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

ヒヨドリの思い出

庭などの身近な場所から、森林までいろいろな環境で見られるヒヨドリ。色合いが地味なことから、探鳥会での人気はいま一つですが、私にとっては思い出深い野鳥です。

野鳥への興味

時は五十数年前。私が中学生だった時にさかのぼります。そのころ私は、友人と悪ふざけをして足の骨を折り、一時的に激しい運動ができず、時間と体力をもてあましていました。そんな時、新聞で「冬は野鳥にとってエサが少なくつらい季節。冬は都会にも山や北国から野鳥がやってくる。餌台を作ると、野鳥も助かるし、身近で観察もできて楽しい」という記事を見つけました。

私は子どものころから生きものが大好きで、幼稚園の時の愛読書は図鑑。それを見ながら、アフリカのサバンナを走り回るシマウマやキリン、それを襲うライオンにあこがれました。小学生の時はずっとクラスの生きもの係で、家ではブンチョウやセキセイインコなども飼っていました。一方で野鳥への興味はまったくなく、存在さえも気づいていなかったかもしれません。それが突然、この記事を見て、野鳥への興味が湧き出したのです。

「謎の鳥」との出会い

私の生家は東京都文京区。我が家には庭はありませんでしたが、幸いにも隣の家には庭がありました。そこで、隣の家に近いベランダに餌台を作り、パンくずを置いてみました。しかし、来たのはスズメだけ。ところが餌台には来ませんが、スズメとは違う鳥が隣の庭にいることに気がつきました。

その「謎の鳥」は、遠くから肉眼で見た感じでは(その時は、当然ながら双眼鏡は持っていませんでした)色は黒っぽくて、大きさはハトくらい。野鳥図鑑を引っ張り出して調べてみましたが、当てはまる野鳥はいません。もっと近くから見るしかないと思って塀越しに庭をのぞくと、そこにいた野鳥は、黒ではなく灰色の体をしたヒヨドリでした。

秋冬は柿を食べている姿もよく見かける
秋冬は柿を食べている姿もよく見かける

この記念すべき野鳥の識別初体験以来、不思議と野鳥が目に付くようになりました。以前、当会から出版していた『窓をあけたらキミがいる』という初心者向けのバードウォッチングの本の中に、「心の窓を開くと、身の回りに意外と多くの野鳥がいることに気づく」と記されていましたが、まさにその通り。それまで、野生味あふれる生きものは、遠いアフリカのサバンナや熱帯のジャングルにしかいないと思っていたのですが、身近なところにいるではありませんか。そして当会に入会して探鳥会に通うようになり、さらに野鳥にはまり、いまにいたっています。

当会の探鳥会に通って、より野鳥が好きになった
当会の探鳥会に通って、より野鳥が好きになった

ということで、バードウォッチャーにはあまり人気がない?ヒヨドリですが、私にとっては運命的な出会いをもたらしてくれた思い出深い野鳥なのです。


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トップメッセージ 2025年5月

2025年5月16日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

勇払原野を視察「生態系への影響」を考える

4月に当会のウトナイ湖サンクチュアリ(北海道)に行ってきました。サンクチュアリのレンジャーたちとの交流と、ウトナイを囲むタンチョウやチュウヒが生息する勇払原野に計画されている風力発電施設について、現地の保護団体の方々からの意見聴取と現地視察が目的でした。

久しぶりのウトナイ湖ネイチャーセンターでしたが、センターのまわりの林では、シラカバやズミ、ヤナギ類が芽吹き、アオジやクロツグミなど、夏鳥たちも到着していました。そして湖の対岸にはオジロワシの大きな巣が遠望できました。

大規模風力発電の建設計画が進む勇払原野

風力発電所の建設が計画されているのは勇払原野の東側にある厚真町浜厚真地区です。ここはウトナイ湖サンクチュアリに隣接し、自然度の高い湿原、草原、湖沼等がまとまって存在し、多数の希少動植物が生息・生育しているエリアです。雪が溶け、枯れたヨシが一面に広がっている早春の勇払の湿原には、真っ黒になった夏羽のノビタキのオスたちがあちこちにとまっていて、その上をチュウヒが悠然と滑空していました。オオジシギは到着したばかりのようで、盛んにディスプレイフライトを繰り返していました。最大6羽ものオオジシギが「ズビーヤク、ズビーヤク」と鳴きながら空中でもつれあっているのは圧巻の光景でした。浜に出ると、2羽のオジロワシが悠然と舞ってくれました。

草原や湿原で繁殖をするオオジシギ(左・撮影地:釧路湿原)やチュウヒ(右・撮影地:宗谷地域)
草原や湿原で繁殖をするオオジシギ(左・撮影地:釧路湿原)やチュウヒ(右・撮影地:宗谷地域)

草原や湿原で繁殖をするオオジシギ(左・撮影地:釧路湿原)やチュウヒ(右・撮影地:宗谷地域)

この湿原ではタンチョウの繁殖も確認されています。2017年に最初のつがいが営巣しヒナを育て、それ以降も定着して繁殖を繰り返しています。これを地元、むかわ町で活動する「ネイチャー研究会inむかわ」や「タンチョウ研究所」、当会の苫小牧支部、ウトナイ湖サンクチュアリのレンジャーたちがずっと見守っています。

ネイチャー研究会inむかわ、タンチョウ研究所、日本野鳥の会苫小牧支部のみなさんと
ネイチャー研究会inむかわ、タンチョウ研究所、日本野鳥の会苫小牧支部のみなさんと

生態系への影響

もしここに風力発電所が建設されたら、この地域の生態系や生物多様性に大きな影響をおよぼすことが予想されます。現在、この事業については、環境大臣や北海道知事、関連市町の首長、地元住民からの厳しい意見を受け、事業者は計画当初の10基のうち、タンチョウやチュウヒが営巣する海岸線に設置が計画されていた5基の建設を断念しました。

しかし風車の数の削減によって、希少鳥類の生息環境の消失やワシ類およびガン類の渡りへの悪影響の懸念が払拭されたわけではありません。残る5基の周辺にも同様の環境が広がっていることから、とくにチュウヒやワシ類の衝突の危険が予測されます。海岸線の5基だけでなく、残りの5基についても、影響がないように中止を含めた建設計画の再考を引き続き求めるとともに、関係機関に対して当該地域における希少鳥類の生息環境保全を訴えていきたいと思っています。

風車の近くを飛翔する鳥たち(撮影地:宗谷地域)
風車の近くを飛翔する鳥たち(撮影地:宗谷地域)

いまさらですが、ワシ類の風車への衝突は深刻な問題です。オオワシやオジロワシなどのワシ類は空を舞いながら地上にいる獲物を探し、常に下を見ているのです。今の風車はどんどん巨大化して、風車の羽(ブレード)の回転直径は130mにも達しています。これくらい巨大な羽になると、遠くからではゆっくり回転しているように見えます。しかし羽の先端は、新幹線の速度ほどの高速で回転しているのです。そしてワシたちは獲物を探して、地上を見ながら、回転しているブレードの高度に滑り込んでくるのです。

オジロワシの多くは冬鳥だが、近年、勇払原野では繁殖が確認されている(撮影地:根室)
オジロワシの多くは冬鳥だが、近年、勇払原野では繁殖が確認されている(撮影地:根室)

実際、北海道幌延町の風力発電所で深刻なバードストライクがおきています。令和5年5月の運転開始から今年3月までの2年弱で、14基の風車が立つエリアで立て続けにバードストライクが発生し、オジロワシ9羽、オオワシ1羽が死んだのです。これを受けて風力発電所の運営会社は3月から風車14基の運転を、日中、全面停止しています。鳥の保護のための風力発電の運転停止は極めて異例とマスコミは報じていますが、北海道から東北にかけて、海岸線に近い風発ではこのような事故が少なからず生じているはずです。

地元の自然保護団体によると、環境影響評価(アセスメント)手続きの「準備書」段階の住民説明会でバードストライクの懸念が出た際に、会社側は「20年間に数羽しかバードストライクが起きる可能性がないことから、ほぼ問題ない」との回答をしたといいます。一体、何にもとづいて、こんなことを言うのでしょう?

北海道から東北一帯の海岸線における冬季の風車へのワシ類の衝突事故はこんなものではないと思います。私個人としては、北海道から東北にかけての海岸線に立つ風車は、多くのワシ類が越冬する冬季の昼間は運転停止し、衝突が起こった場合には、運営会社に対して厳しい罰則を科すくらいしなければならないと考えています。

さまざまな開発計画

ところでラピダスって聞いたことがありますか?政府主導の次世代半導体の量産を目指す事業を、ラピダスという企業が千歳市で計画しています。一つの会社に対して、今年度の補正予算で1兆円という天文学的な税金を投入するという国家規模の大事業です。半導体開発ではすでに台湾に先を越されているから、技術立国たるべき日本はそれを追い越して、世界的規模での半導体立国を目指すべきだという政府の考え方による事業です。

そのラピダスが立地を計画している地域は、ウトナイ湖サンクチュアリを含む勇払原野の水系のまさに上流部なのです。建物の面積はほぼ東京ドームと同じ広さだそうで、大量の工業用水は太平洋に流れ込む安平川から取水して、日本海へ流れ込む石狩川支流の千歳川へ排水する計画になっていて、この影響も未知数です。開発は1つの工場建設だけにはとどまらず、周辺にパートナー企業や研究機関と共同で開発を行うための施設も作られていくでしょう。将来的には北海道のシリコンバレーを目指すそうです。そうなった時、勇払原野の生態系はどうなっていくのでしょう。

私たち日本野鳥の会は、地元住民の声を聞きつつ、乱開発には歯止めをかけ、将来にわたって勇払原野の生態系を守っていくために力を尽くしたいと思っています。


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日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

メダカの学校は田んぼの中

ひと雨ごとに緑が増し、春が進んでいきます。田んぼの横を流れる土の水路にも水が増え、「春の小川」は「さらさら」と流れていきます。そして、その水を田んぼに引き入れると、一緒にメダカたちも入って来て、田んぼは「メダカの学校」になります。

メダカの学校(田んぼで泳ぐメダカの群れ)
メダカの学校(田んぼで泳ぐメダカの群れ)

関東地方の一部にすむ希少なメダカ

我が家の田んぼ、小川とその上流のため池には、メダカが生息しています。近年、メダカは遺伝学的研究によって、北日本にすむものが「キタノメダカ」、東日本から南日本にすむものが「ミナミメダカ」と2種類に分けられました。さらにミナミメダカのうち関東地方の一部にすむ地域個体群は種こそ分けられてはいませんが、他のミナミメダカの地域個体群とは異なる古い遺存的な遺伝子型を持っており、極めて希少な「関東メダカ」と呼ばれています。

希少な関東メダカ
希少な関東メダカ

我が家の田んぼにすむメダカは、この希少な関東メダカです。10年前にここに移り住んだ時、たまたまため池で泳ぐメダカを見つけ、それを宇都宮大学で遺伝子分析してもらったところ、関東メダカだということがわかりました。ここにメダカが残っていたのは、ため池が人家の前を通らないとたどりつけない谷津田の奥にあったため、外来種のブラックバスなどが放流されることなく、また人による乱獲もされることなく、生息が維持できたからです。

水が入ったばかりの春の谷津田
水が入ったばかりの春の谷津田

関東メダカについて

メダカは遺伝学的研究に基づくと、北日本型、南日本型、関東固有型の3つの型に分けられます。以前は日本のメダカは1種でしたが、近年北日本型が含まれる北日本集団と、南日本型と関東固有型が含まれる南日本集団を異なる種として2種に分け、それぞれキタノメダカ、ミナミメダカと命名しました。しかし、関東固有型(通称関東メダカ)は、種としてはミナミメダカに含まれますが、他の南日本集団とは異なる固有の遺伝子を持っていることから、日本のメダカが3つの集団に分かれていた極めて古い時代の生き残りの可能性があります。

里山の生態系を支える生きものたち

しかし、私が移り住んだ時、ため池の下流にある田んぼは耕作放棄されており、ため池と田んぼをつなぐ土の水路も含めて荒れていたため、メダカの生息には適していませんでした。それが、米作りを再開したことで、ため池と田んぼが繋がってメダカが田んぼに入ることができるようになり、安定した生息地になりました。

田んぼは川や池などよりも温かく、餌となるプランクトンが多く発生するため、メダカの稚魚が速やかに成長することができます。また、田んぼは水深が浅いため捕食者である大型魚が生息しにくく、稲がサギなどの野鳥からの隠れ場所になります。田んぼは、メダカにとっては最高の生息環境なのです。

今では、田んぼで繁殖して増えたメダカが、秋の頃になると田んぼ一面で見られるようになり、その数は数千匹以上になります。この膨大なメダカが、タイコウチやミズカマキリなどの肉食の水生昆虫やトンボの幼虫(ヤゴ)の餌になり、豊かな里山の生態系の基盤を支えています。

自然観察会でメダカについて解説
自然観察会でメダカについて解説

タイコウチとミズカマキリ
タイコウチとミズカマキリ

これからも、この希少なメダカとそれを取り巻く生態系を守るためにも、無農薬で生きものにやさしい米作りを続けていきたいと思います。


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トップメッセージ 2025年3月

2025年3月11日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

3.11に思う

また3月11日が巡ってきた。東日本大震災からもう14年目になるのかと、ちょっと感慨深い。

あの日、私は札幌の学会でシンポジウムに参加していた。午後2時46分、急に床がゆっくり左右に揺れ始めた。それは20秒くらい続いただろうか。本当はもっと短かったかもしれないが、人生で初めて経験する地面の大きな揺れであった。おそらく遠くで大きな地震があったらしいことはわかった。その時は関東で首都直下型地震かもしれないと思って、急いで外に出て公衆電話を探して家に電話をかけた(私は今でも携帯を持っていない)。幸い、電話はすぐ繋がり、地震が東北地方で起こったこと、家族は全員無事であることを確認した。だがその時は、東北地方をあの巨大な津波が襲うとは思ってもいなかった。

福島原発事故

海岸に立地していた福島第一原発はこの津波をもろに被り、全ての電源を喪失した。テレビのニュースで「福島第一原発、全電源喪失」というニュースが流れた時、冷却システムを失った原発で次に起こることが頭に浮かんだ。それは炉心のメルトダウン、そしてチェルノブイリのような原子炉爆発だと思った。私も科学者の端くれだから、それくらいのことは予想できた。

そして翌12日、1号機建屋が水素爆発を起こし、14日には3号機がこれも建屋が水素爆発し、ついで15日には4号機がこれも水素爆発し、2号機を含め大量の放射性物質を大気中に解き放つことになった。この放射性物質を含む雨が15日に原発の北西に位置した浪江町から飯舘村、西は秩父地方までの関東圏に降ったのである。

放射能の影響調査

人のいなくなった農家の庭にネコだけが……
人のいなくなった農家の庭に
ネコだけが……

どれくらいの放射性物質が撒き散らされたのか、そしてそれが動植物に与える影響はどれくらいあるのか、事故直後から国内外を問わず多くの研究者が現地調査に入った。みなほぼボランティアであった。それは研究者としての良心というものであろう。私たちも鳥に与える影響を調べようと、海外の研究者とチームを組んで現地入りした。

フランスから来た友人で鳥の研究者A. P. Mollerさんとアメリカの生態学者Tim Mousseauさんのチームに国立科学博物館の西海さんらと加わって、飯舘村で鳥のセンサスや昆虫の採集を行った。調査を実施した飯舘村の津島中学校の校庭は、持っていった線量計で通常の1600倍の放射線量、毎時80マイクロシーベルトを超える深刻な放射能汚染を被っていることがわかったが、私たちは皆とうに“繁殖年齢”を超えているので、「まあ、将来ガンになっても諦めるさ」という楽感的な(悲壮な?)雰囲気であった。

海外の研究者らとともに放射能の影響を調査
海外の研究者らとともに放射能の影響を調査

海外の研究者らとともに放射能の影響を調査

ついでフランスの原子力研究所のチームA. SternalskiさんとJ-M BONZOMさんらと一緒に、当時研究室のポスドク研究員だった松井君、笠原さんと、この地域の被曝した鳥類の残留放射能の調査も行った。この時はさすがに“繁殖年齢前”の若者もいたので、ちょっと気を使った。幸いにしてチェルノブイリのような炉心爆発ではなかったから、拡散した放射性物質は量的には少なく、鳥や生物への影響はすぐには出てこない。しかし汚染直後に収集した私たちのデータ(結果は学術誌に公表してある)はきっと将来的に大きな意味を持ってくるだろうと思う。

この時の調査結果を学術誌に公表

この時の調査結果を学術誌に公表
(ScienceDirect(英語)のホームページ)

© S Matsui
© J-M BONZOM at IRSN
© J-M BONZOM at IRSN

フランスIRSNチームとの共同調査。環境省の捕獲許可を得た上で小鳥類への影響を調べる

© J-M BONZOM at IRSN
© S Matsui

巣箱を設置し、ヒナへの影響を調べる(右の写真はシジュウカラのヒナ)

原発はもうやめよう!

子どもの頃、原子力は安全で半永久的な夢のエネルギーであると宣伝されていた。原子力エンジンを搭載した鉄腕アトムのテーマソングを、みんなで歌ったものである。だが原発の安全神話はこの福島原発事故で崩壊した。地震列島、火山列島である日本列島に原発を立地させるという、そのこと自体が問題なのではないだろうか。さらに「津波さえ来なければ?」、「火山さえ噴火しなければ?」、原発事故は起こらないのだろうか。「日本の技術は優秀だから原発は100%安全」だとずっと言われ続けてきた。この安全神話を広めてきた責任を政府や電力会社は取ったのだろうか。

私たち日本野鳥の会は福島原発事故のすぐ後に、「原発は将来的にすべてなくす。世界的な脱原発社会を求める」という公式見解を発表している。この見解は今も変わっていない。柳生会長の時代に出されたこの見解を、私も踏襲したいと思う。

そして一人の科学者として言いたいのは、原発から出る放射性廃棄物をどうするのかについて、世界中のまだ誰も答えを見いだせていないということである。地中深く埋めても、プルトニウムの半減期は16000年もある。つまり16000年経っても、プルトニウムの分量は半分にしかならないのである。32000年経っても4分の1である。その時人類が存続していたとして、32000年前に埋められたプルトニウムの管理に誰が責任を果たせるのだろうか。

先日、2040年に向けて日本の新しいエネルギー基本計画が閣議決定された。そこからは前の基本計画で明言されていた「原発依存をできる限り低減する」と言う文言が削除されている。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、まさにこのことわざ通り、電力会社、そして原発利権に群がってきた企業や政治家の原発再稼働・増設の大合唱が聞こえると思うのは私だけだろうか。

終わりに

ところで日本野鳥の会が創立されたのは昭和9年3月11日なのである。そう、まさに東日本大震災が起きたその日なのである。だから私たち日本野鳥の会はこの日をめでたく祝うことはできなくなってしまった。しかし日本野鳥の会はこの3月11日で91周年を迎えた。日本で最も歴史のある、そして国内最大の自然保護NGOである。私たちに負わされた責任は大きいと考える。


過去のメッセージ

プロフィール

日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

タンチョウ再発見から100年記念フォーラムに参加して

鶴居村長から感謝状を受け取る
鶴居村長から感謝状を受け取る

2月8日(土)、北海道・鶴居村にて、タンチョウ再発見から100年 記念フォーラム「タンチョウと共に生きる~鶴居村だからできる持続可能な取組を探る~」が開催され、参加してきました。

参加者が200名を超える盛会の中、俳優の杉田かおる氏(約45年前にこの地でロケが行われたテレビドラマ「池中玄太80キロ」で長女役を演じた)と環境省釧路自然環境事務所長の岡野隆弘氏による基調講演をはじめ、地元の中学校による学習発表、当会の原田チーフレンジャーを含む6名によるパネルディスカッション等が行われ、当会もタンチョウ保護に貢献した団体として、地域の保護関係者や団体と共に感謝状をいただきました。

タンチョウ再発見から100年を振り返る

ここで、タンチョウ再発見から100年の歩みを簡単に振り返ります。乱獲などで絶滅したと考えられていたタンチョウ10数羽が、釧路湿原の奥部で再発見されたのが1924年。その後、1935年に天然記念物、1952年には特別天然記念物に指定され、保護が講じられるようになりました。しかし、個体数が思うように増えない中、1952年の冬、猛吹雪の中で人里近くに現れてうずくまっているタンチョウ3羽を子どもたちが見つけ、先生らと一緒にトウモロコシなどで餌付けに成功。これをきっかけに各地で給餌活動が行われるようになり、地域の方々や関係者の献身的な保護活動の結果、北海道全体では2006年に生息数が1,000羽を超え、100年後の現在では1,900羽ほどになりました。

日本野鳥の会の活動

当会では、タンチョウ保護を進めるために1987年に鶴居村に「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」を開設しました。そこは伊藤良孝氏が個人で給餌をしていた場所で、伊藤氏と協定を結ぶことでサンクチュアリとなり、伊藤氏が亡くなられた後も協定はご遺族に引き継がれサンチュアリとして継続しています。現在、冬期のタンチョウへの給餌活動のほか、生息する湿原の保全や調査、普及教育などさまざまな活動を行っています。

雪に覆われた鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ
雪に覆われた鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ

新たな課題とタンチョウ保護

保護が進み、生息数が増えたタンチョウですが、多くの個体が給餌場に集まることで、周辺では農作物への被害が増えたり、感染症罹患のリスクが大きくなったりと、新しい課題が出てきました。そこで、村では2018年に「鶴居村タンチョウと共生するむらづくり推進会議」を発足させ、保護のあり方、農業との共生、地域振興、地域住民のかかわりなどを官民一体となって検討しています。当会は、このような村の動きと連携しながら、これからもタンチョウ保護に尽くしてこられた多くの方々の思いを引き継ぎ、地域の方々や関係者の皆さんと協働してタンチョウ保護を進めていきます。

給餌場に集まるタンチョウとそれを見に集まった観光客やカメラマン
給餌場に集まるタンチョウとそれを見に集まった観光客やカメラマン


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トップメッセージ 2025年1月

2025年1月14日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

【新年のご挨拶】鳥を見る活動の広がりが社会を変える力へ

あけましておめでとうございます。

会員、サポーターの皆さま、元気に鳥を見て(聴いて)おられるでしょうか。昨年の日本列島は暑い夏から秋を飛ばして、一気に寒い冬に突入した感があります。そのせいかどうかわかりませんが、この冬は冬鳥が少ないという声があちこちで聞かれます。鳥たちにとって、こうした気候の変化はどんな影響をおよぼしているのでしょうか。

さて、私たち日本野鳥の会は風力発電やメガソーラーのうち、バードストライクの危険があるものや、大規模に自然を破壊するものに対して、科学的な見地からキッパリと反対の意見書を事業者や自治体、国に提出し、メディアに対してもSNSを含め、さまざまな媒体を駆使して発信し、乱開発にブレーキをかけています。

当会がこのように日本の自然保護に大きな力を発揮することができているのは、全国の支部・連携団体、そしてサポーターの皆さんが、探鳥会をはじめとするさまざまな活動を通じて、野鳥や自然への関心を広げているからです。「鳥を見る(聴く)」という活動は、一見、地味ですが、この活動の広がりが、ゆっくりではありますが人々の心を動かし、社会を変える力となっていると確信しています。改めて、皆さまからの物心両面のサポートに心より感謝申し上げます。


さて私事ですが、私にとって昨年はアジアに関係の深い年でした。10月にはネパール、11月には中国、そして12月にはフィリピンを訪ねてきました。

ヒマラヤ4000mの岩場で出会ったヒメサバクガラス

ネパールは仕事ではなく、ヒマラヤトレッキングを楽しんできました。アンナプルナ山塊をのぞむ3000~4000mの尾根を1週間かけてのんびり歩いてきました。

マチャプチャレ(写真中央)とアンナプルナ山群を望む
マチャプチャレ(写真中央)とアンナプルナ山群を望む

鳥はそんなに多くはありませんでしたが、4000mを越えた岩場で、ずっと前から気になっていたヒメサバクガラスに出会うことができました。この鳥はカラスと名前がついているように、中央アジアの砂漠から高山の荒地に生息するムクドリ大の地上性の鳥で、長い間カラス類に近縁だと思われていたのです。それが近年の分子系統解析でParus(シジュウカラ)属の鳥だということがわかったのです。こんな鳥までシジュウカラの仲間になっているのは不自然だと思った研究者によって、その後、Parus属が再検討され、ヒガラもコガラもヤマガラもそれぞれ独立した別の属に分類されてしまいました。

絶景が広がるヒマラヤトレッキング
絶景が広がるヒマラヤトレッキング

急速に発展する中国の鳥類学

中国へは北京で開催された第二回アジア鳥類学会議に、当会研究員のシンバ・チャンと参加してきました。私はもうリタイアしているので、現役の活きの良い研究成果は発表できませんが、開催事務局からの依頼で、「日本の鳥学と自然保護」というテーマで日本の若手の研究紹介や、日本野鳥の会の活動などを紹介してきました。中国の鳥類学の動向については、日本にいるとなかなか情報が入ってきませんが、多くの分野で急速に発展しているなと思いました。とくに分子系統学やGPSを用いた渡りや移動の研究は、研究費が十分に保証されているのだと思いますが、圧倒的なサンプルサイズで良い結果を出しています。また、あちこちの大学に拠点があり、若い研究者がたくさん育っていて活気を感じました。実際、日本はもう追い越されているかもしれません。ただし、私の専門である行動生態学の分野では、まだまだ欧米の後追い感が強く、面白い研究が少ないなと感じました。

第二回アジア鳥類学会議でのようす
第二回アジア鳥類学会議でのようす

フィリピンでの越冬鳥調査

12月のフィリピンはバードリサーチの調査のお手伝いでした。バードリサーチではトヨタ財団の助成を受けて、フィリピンでの有機コーヒー栽培を支援するプロジェクトに取り組んでいます。コーヒーの木のみを植える単一のプランテーションではなく、アグロフォレストリーといって、林の中にコーヒーの木を植えて、森も守りながらコーヒーの木も育てるという自然に配慮したプロジェクトです。事実、コーヒーの木は少し日陰の方がよく育つらしいのです。そしてこの森づくりにはさまざまな鳥が関わっていることがわかっています。そこで日本で繁殖したオオルリやキビタキ、クロツグミなどの夏鳥が、越冬場所であるフィリピンでどのように生活しているかを調べるのがこのプロジェクトです。

調査地はマニラから北へバスで11時間ほど入った800~1800mの山岳地帯(Mountain Province州)です。ここでフィリピン側の協力団体のメンバーと鳥を捕獲したり、センサスしたりしていました。美しい声で鳴くヒヨドリ類やサンバード、ハナドリの仲間、バンケン類など、日本ではお目にかかれない鳥たちがたくさん生息している地域です。残念ながら、目当ての越冬鳥たちの生息は確認できませんでしたが、キセキレイやコムシクイはたくさん越冬していました。

調査チームのメンバーと記念撮影
調査チームのメンバーと記念撮影

今年も全国の会員・サポーターの皆さんと手をたずさえて、野鳥と自然を守る活動に取り組みたいと思っています。


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日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

【新年のご挨拶】野鳥も人も健やかにくらせる社会を目指して

明けまして、おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

冬の里山での調査では7地域21地点をまわった
冬の里山での調査では
7地域21地点をまわった

さて、今年のお正月も(さらに加えれば、昨年も一昨年も)、私は家の周りの里山で野鳥たちを見たり、山仕事をしたりして過ごしました。

今冬は、私の住む栃木県市貝町の「サシバの里保全創造条例」に基づいた動植物調査に協力している関係で、町内のあちこちを歩きました。面積67平方キロメートルで起伏が少ない町のため、大体の場所は知っていると思っていましたが、歩いてみると知らなかった場所もあり、新鮮でした。

特に印象深かったのは、耕作放棄された谷津田の奥にあるため池。そこには、栃木県や市貝町のレッドリストに入っているオシドリ(準絶滅危惧)が、水面の半分ほどを覆うように100羽ほどの群れで泳いでおり、おどろかされました。主な食物であるドングリが豊富な雑木林に囲まれた静かなため池は、オシドリにとって絶好の越冬場所なのかもしれません。

また、別のため池では、マガモやカルガモに混じって、オカヨシガモが30羽ほど見られました。オカヨシガモは、比較的数が少ないカモだと思っていましたが、こんな身近な池に多数いるとは思いませんでした。オカヨシガモは、「全国鳥類越冬分布調査」と「ガンカモ類の生息調査」のそれぞれにおいて近年、越冬個体数の増加が報告されています。ある場所では水質の浄化でエサとなる水草が増え、本種が増加したとされており、全国的にそのような事例が増えているのかもしれないと言われています。環境が改善されて、増えているとはうれしいことです。

近年、増加傾向にあるオカヨシガモ(写真はオス)
近年、増加傾向にあるオカヨシガモ(写真はオス)

一方で意外だったのは、冬鳥の代表であるツグミです。ツグミが、どこに行ってもほとんど見られません。この里山に移住して今年で10年になりますが、こんな年は初めてです。12月中旬ごろまでは、暖冬で北日本や標高の高い地域に留まっていて平野まで下りてこないのかと思っていましたが、上述した地域で広く降雪があった後も一時期少数が見られただけで、その後も増えることなく、また見られなくなってしまいました。

私が鳥仲間に聞いた範囲では、栃木県内の平野部ではどこも同様な状況だと言うことです。繁殖地の環境悪化や異常気象などによって繁殖がうまくいかず、個体数が減少していなければよいのですが。今後の動向が気になります。

今冬はほとんど見られていない、冬鳥の代表ツグミ
今冬はほとんど見られていない、冬鳥の代表ツグミ

野鳥たちの生息状況の変化は、同じ自然界の一員である私たち人間の暮らしや健康にもつながります。今年も、日本野鳥の会は「野鳥も人も地球のなかま」を合言葉に、野鳥も人もともに健やかにくらせる社会を目指して頑張ります。引き続きご支援をよろしくお願いいたします。


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トップメッセージ 2024年11月

2024年11月1日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

私と山(2)

前回、大学までの山との付き合いを書いたので、今回はそのあとのことを書いてみよう。

セッカの研究のはじまり

京大で昆虫生態学者になろうと思っていた頃、信州大から大阪市立大にホオジロの研究で有名な山岸哲さんが移ってこられた。この時点で就職して昆虫学者になる道もあったのだが、やっぱり鳥がやりたかった。そんなわけで、早速大阪市立大学に山岸さんを訪ね、博士課程から入学を許してもらった(もちろん院入試があったが)。鳥の研究を始めたのはこの時からである。さてテーマは何にしようかという時に山岸さんに「セッカはどうや?」とアドバイスされ、一夫多妻の鳥セッカの研究が始まったのである。

博士課程に進学してからは野外調査と論文作成、アルバイト(高校の非常勤)、それと野鳥の会の支部活動が忙しくて、自然と山からは離れてしまっていた。そして無事に(?)学位を取ったものの、そのあともしばらくは無職だったから、論文を書きつつ、高校生に生物を教える日々であった。自慢するわけではないが、ようやく職につけたのは38歳の時である。

高校で講義中

高校で講義中

低山から富士山まで

前置きが長くなったが、再度、山へ行くようになったのは、たまたま地元ニュータウンの自治会役員をしていた時に、「山遊会」という地域の山のサークルがあって、それに誘われたからであった。そのサークルで、関東近辺の山を登っていた。といってもメンバーはほぼ50歳以上のシニア世代なので、榛名山や赤城山から、高尾山、筑波山など比較的標高の低い近場の山が中心だった。しばらくあちこち登っているうちに、若手(といっても50代)メンバーで、少し高い山に登ろうと南アルプスや八ヶ岳にも出かけるようになった。

11月の上高地(背景に広がるのは穂高連峰)

11月の上高地(背景に広がるのは穂高連峰)

ちょうどその頃、大学の研究室ではジュウイチの研究をしていて、院生たちと富士山の須走口5合目のオオシラビソの森で調査をしていた。標高2000mの傾斜地で、ルリビタキ の巣を探して、一日中、斜面を登ったり降りたりしていると自然と体力もついてくる。初めて富士山に登ったのはこの時で、6月の初め、調査の合間の天気の良い日に、朝早く出て山頂まで往復してきた。9合目からは少し雪があったが、頂上には人っ子一人いない快晴の富士山だった。

そんなわけで50歳を過ぎてから、かなりの山を登ってきた。基本は一人で登るのが好きなのだが、時々一緒にいく山仲間が百名山を目指していたので、私も百名山中50以上の山を登ったことになる。

最近は、朝起きて天気がいいと、ぶらっと一人で奥武蔵の低山を歩いているが、ちょっと運動不足だなと思ったら、時には秩父の武甲山や谷川岳にも出かけている。まあ、あとしばらくは体力が続きそうだから、これまであまり登っていない北海道や東北の山に行こうかと思っている。

槍ヶ岳を背に晩秋の常念岳にて

槍ヶ岳を背に晩秋の常念岳にて


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日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

バードアイランド三宅島

10月中旬、三宅島に行ってきました。日本野鳥の会が三宅村から運営を受託している「三宅島自然ふれあいセンター・アカコッコ館」の、レンジャーやお世話になっている役場や村民の皆さんとお会いするためです。

太平洋に浮かぶバードアイランド

三宅島は、東京から南南西へ約180kmの太平洋に位置する、伊豆諸島に属する島です。国の天然記念物のアカコッコやイイジマムシクイ、固有亜種のオーストンヤマガラなど、同島ならではの野鳥が密度高く生息していることから、別名「バードアイランド」とも呼ばれており、野鳥の生息地として世界的にも重要な地域です。

当会は、野鳥とその生息地を保全し、適切な環境管理のもと自然と触れ合うことができる自然系施設を「サンクチュアリ」と呼び、その理念を広めるために、1981年に北海道苫小牧市に日本で最初の「ウトナイ湖サンクチュアリ」を開設しました。その後は自治体などとも連携しながら全国に自然系施設を展開し、アカコッコ館もその流れの中で1993年に開設されました。今年で30周年を迎えたところです。

アカコッコ館の入り口
アカコッコ館の入り口
アカコッコ館の館内
アカコッコ館の館内


環境の変化がもたらす野鳥の生息数

アカコッコ館近くのスダジイの森林におおわれた大路池(たいろいけ)の岸辺に立つと、以前と変わらぬ島の豊かな自然を感じます。一方で、野鳥の生息状況は変化しているようです。

例えば、2000年の噴火で森林が大規模に消失したことによってアカコッコの個体数が減少しました。現在、個体数は回復傾向にあるものの、強力な捕食者であるイタチの導入前と比較するとまだまだ少なく、新たな対策が必要です。

また、オーストンヤマガラも個体数が減少しているようです。原因としては、南西諸島から伊豆諸島に侵入したスダジイタマバエが、天敵のいない環境で大発生してスダジイの実がほとんど実らなくなり、それを主食としているオーストンヤマガラが餌不足におちいり、減ったのではないかと言われています。

水浴びをするオーストンヤマガラ

水浴びをするオーストンヤマガラ

これからも当会は、バードアイランド三宅島を未来につなぐために、村民の皆さんをはじめ、島を訪れて三宅島のファンになってくださった皆さんとともに、地域振興や地域活性化とも連動しつつ、島の自然や野鳥を守っていきます。

スダジイの原生林に囲まれた大路池にて

スダジイの原生林に囲まれた大路池にて


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トップメッセージ 2024年9月

2024年9月2日 更新

日本野鳥の会 会長 上田恵介

私と山(1)

晴れ嫌いのライチョウ

暑い夏は涼しい高山にでも行って、山小屋でのんびり過ごしたい。雨なら小屋でのんびり読書三昧。天気の良い日はライチョウでも見に行こうかと思うが、じつは天気がいいとライチョウは滅多に出てきてくれない。ライチョウが最も恐れる天敵はイヌワシなどの猛禽類である。乗鞍岳は立山の室堂と並んで、日本で最もアクセスが楽で、ライチョウに出会えるスポットである。私もこれまでに何回かライチョウを見に乗鞍を訪ねたことがあるが、思い出してみると確かにいい天気の日にはライチョウに出会う確率が低い。

数年前のある秋晴れの日に乗鞍連山の大日岳に登った時のことである。快晴の青空をハチクマとチョウゲンボウが舞っていた。ハチクマは秋の渡りの個体だったのかもしれない。この日は乗鞍のライチョウの研究と保護の中心メンバーであるKさんに案内してもらったのだが、結局、1羽のライチョウにも出会うことができなかった。

朝日岳にてライチョウのオス

朝日岳にてライチョウのオス

山への憧れ

私と山の関わりはじめはいつ頃だったろう。高校時代、北杜夫の『ドクトルマンボウ青春記』を読んだことがきっかけだったのではないかと思う。この本は若き北杜夫が旧制松本高校(現信州大学)の寮に入って過ごした青春の日々の物語である。旧制高校のバンカラ生活をおもしろおかしく描いた内容で、寮で馬鹿騒ぎをして、デカンショ節を歌い(デカルト、カント、ショウペンハウウェルね!)、山に登り、昆虫を追いかけて(彼は昆虫マニアであった)という自由奔放な学生生活が描かれている。北杜夫は『白きたおやかな嶺』など、これ以外にもいくつか山にまつわる小説を描いている。

だから志望の大学を決めるときには信州大学が第二志望だった。しかし信州大学の理学部には生物系の学科はなかったので、地学科に行って化石の研究でもしようと思っていたのである。けれど一期で受けた大阪府立大学に受かってしまったので、二期校の信州大学は受けなかった(この頃、国公立の大学は一期と二期とで受験日をずらして、受験生は志望校を2つ受けることができた)。もしも信州大学を受験して合格していれば、ほぼ確実に思誠寮に入寮し、そして山岳部に入部して、山三昧の学生生活を送っていたと思う。

だから山にはずっと憧れがあったが、新田次郎の小説を読んでいると、冬山や岩場で遭難する話ばっかり出てくるので、やっぱりこれはやばいなと思って山岳部からは距離をおいていた。入学した大阪府立大学には山岳部もワンゲル部もあったが、当時、山関係のサークルではシゴキ(下級生に訓練と称して、レンガやブロックを大量に担がせて歩かせる)が問題になっていたこともあって、山関係のクラブには入部せずに、農業問題研究会という地味な文化系サークルに入っていた。

山と仲間の思い出

しかしこの頃、若者の間で山はブームだった。私の入部した農業問題研究会(農問研=のうもんけん)は山とはまったく関係のないサークルだったが、同じ府立の短大のサークルと合ハイ(合同ハイキングね!)で、皆でテントを担いで、自炊の装備で比良山に登ったりしていた。クラスメイトには山岳部の友人もいたが、彼は岩を登っている時に落石で肩を骨折し、流石にこれ以上ここにいたら命が危ないと思ったのか、山はやめて、持っていたキスリング(横長のテント地のザック)を譲ってくれた。そのザックを背負って、夏は農問研のメンバーと槍ヶ岳に登ったりしていたものである。今思うに、私はわりと慎重な性格だったのだなと思う。

9テント泊の道具を担ぎ登った比良登山

テント泊の道具を担ぎ登った比良登山

卒論に取り組んでいた4年生の時代、それから4年間(?)の修士の大学院での期間、山にはほとんど行かずに過ごしていた。大阪南港の野鳥を守る会の活動や、野鳥の会の大阪支部の活動が忙しかったからである。

府大から大阪市立大理学部に移る間の1年間、私は京都大学の昆虫学研究室に所属していた。巌俊一、久野英二、井上民二といった、日本の昆虫個体群生態学を牽引していた数理生物学者たちがいた研究室である。この時、研究室に出入りしていた学部2年生のM君(生態学者の加藤真さんと同級生)が山好きで「上田さん、山行きましょうよ」と誘われて行ったのが穂高である。M君の友人の京大探検部のメンバーも一緒であった。ヘルメットはあったほうがいいからと、彼が京大吉田寮から、学生運動の過激派の中核派かなんかのヘルメットを持ってきてくれた。上高地から涸沢を経て、前穂高の北尾根から奥穂高へ縦走し、奥穂の小屋の横でテントを張った。あとで聞くとかなり上級者コースだということだが、チムニーの登りもなんともなかったし、山はこんなものだとしか思わなかった。次の日はジャンダルムへの往復だったが、滝谷側に落ちると怖いなと思ったくらいで、馬の背も楽しく往復してきた。しかしM君はその翌年、冬の伯耆大山で滑落して亡くなった。生きていれば優秀な昆虫学者になっていただろうと思うととても残念な気持ちである。

北アルプス前穂高岳の北尾根にて

北アルプス前穂高岳の北尾根にて


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日本野鳥の会 理事長 遠藤孝一

我が町にコウノトリが飛来

栃木県市貝町で初めての観察

今年の6月、私の住む栃木県市貝町に2羽のコウノトリが飛来しました。県内では小山市の渡良瀬遊水地内に設置された巣塔で、毎年1つがいが繁殖しており、ここ数年2~3羽のヒナを巣立たせていますが、それ以外の地域でコウノトリが見られるのは稀で、もちろん市貝町では初めてです。

幸運にも、私は市貝町に飛来したコウノトリの最初と最後の観察者になりました。ことの始まりは、6月17日の朝。早朝から行なっていた里山での鳥類調査が終わって車で帰宅途中、視野の片隅に田んぼに佇む白と黒の大きな鳥のような姿がちらりと見えました。「ええ!まさか?」と思いつつ、引き返して近づくと、まさかのコウノトリでした。田んぼの中を歩きながら、くちばしを上手に使って、小さなオタマジャクシを盛んに食べています。よく見ると、脚環がついており、1羽は「J0662」、もう1羽は「J0645」とあります。その後、帰宅してインターネット(IPPM-OWSおよびコウノトリ市民科学のホームページ)で脚環番号を検索すると、2羽とも昨年生まれの1歳のオスで、J0662は広島県世羅町生まれ、J0645は兵庫県豊岡市生まれ、とわかりました。直近では、J0662は4月1日に鳥取県鳥取市で、J0645は5月31日に兵庫県加古川市で観察されており、どこで2羽が合流したかは不明ですが、ずいぶん遠くから来たことがわかりました。

水田で餌をとる2羽のコウノトリ

水田で餌をとる2羽のコウノトリ

その後は、低い丘の上に立つ携帯電話の電波塔をねぐらに、その周辺の田んぼを中心におもに半径2~3kmの範囲で生活しており、7月12日の午後まで観察されました。この最後の観察も私でした。滞在中は、田んぼでオタマジャクシやドジョウを、畦や土手でカエルや昆虫などを食べていました。中干し(田植え後、一定の期間水を切って土壌を乾かすこと。土壌への酸素の供給、根や茎の健全な育成などに効果があり、収量・品質の向上につながる)で水がなくなり、また稲が成長して田んぼ一面を覆うようになる頃には、餌が捕りにくくなるので移動すると予想していましたが、やはりその通りとなりました。

サシバだけでなくコウノトリにも選ばれる町へ

市貝町では、人と自然が共生する「サシバの里づくり」を進めていますが、次にコウノトリが飛来する時までには、1年を通じて餌が捕れる水辺環境を整備し、「サシバだけでなく、コウノトリにも選ばれる町」を目指したいと思います。すでにコウノトリのファンになった農家の方々から、コウノトリを呼ぶための水張り休耕田(水田ビオトープ)などのアイデアが出ており、今後は個人的テーマとして行政や地域の皆さんと一緒に、コウノトリの生息に適した環境づくりにも取組んでいきます。

コウノトリが飛来した農村環境

コウノトリが飛来した農村環境


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