第3回 日本政府はなぜ、海洋プラスチック憲章に署名しなかったのか

マンガ「海洋プラスチック憲章に署名しなかった日本」

2018年にカナダで開かれたG7で、プラスチックごみによる海洋汚染問題への各国の対策を促す文書「海洋プラスチック憲章」が採択されましたが、日本とアメリカの2国だけが署名しませんでした。プラスチックごみの年間排出量が多い(日本5位・アメリカ2位)2国のこの行動に対し、大きな批判が起きましたが、日本はどうして署名を見送ったのか、その背景について解説します。

文・井田徹治(共同通信社編集委員兼論説委員)

PROFILE

井田徹治

井田徹治(いだ・てつじ)

1959年東京生まれ、東京大学文学部卒、1983年に共同通信社に入社。2010年から同社編集委員兼論説委員。
環境と開発、エネルギー問題がライフワークで、30年以上にわたって国際会議の取材、発展途上国での環境破壊の現場取材を続けている。『霊長類』、『生物多様性とは何か』、『追いつめられる海』(いずれも岩波書店)など著書、訳書多数。


海洋プラスチック憲章への署名を拒否した日本

「私はこのようなものには署名しない。シンゾー、君もしないよな」。そう言って席を立つアメリカのトランプ大統領。安倍晋三首相は、返す言葉もなくそれを見送った。

深刻化する海のプラスチック汚染に取り組むため、2018年7月、カナダ東部シャルルボワで開かれた先進7カ国(G7)首脳会議(サミット)で、「海洋プラスチック憲章」への署名をアメリカと日本は拒否した。複数の政府関係者によると、その時のようすはこんなものであったらしい。

欧州諸国とカナダが署名した憲章は「発生の抑制が、海洋ごみ問題への取り組みと対処を長期的に成功させるカギであることを認識する」と明言し、具体策の一つとして「不必要な使い捨てプラスチック製品を大幅に削減し、代替品の環境インパクトも考慮する」とうたった。さらに「2030年までにプラスチック製品をすべて再利用可能あるいはリサイクル可能、またどうしてもそれができない場合には、熱源利用などの用途への活用に転換する」「30年までに、プラスチック製品の再生素材利用率を50%以上にする」「プラスチック容器の再利用またはリサイクル率を2030年までに55%以上、2040年までには100%にする」など年限を限った具体的な数値目標を含む、先進国首脳による政治的な宣言としては画期的な内容だった。

「トランプ氏に議論をリードされた」「議長国カナダの提案が突然で、事前の根回しが不十分だった」などのコメントが政府関係者からは聞かれたが、署名拒否の真の理由は「具体的な数値目標や『製品の大幅削減』など、その内容が、日本国内の現状からして受け入れられるものではなかった」(環境省関係者)という点にある。当時、海洋プラスチック問題が深刻化し、重要な環境問題の一つとしてG7の場で議論されてきたにもかかわらず、使い捨てプラスチックの削減や用途規制はおろか、レジ袋の有料化や代替品の開発と利用の促進といった取り組み強化の議論は、日本国内ではほとんど進んでおらず、国際的な議論とのギャップはとても大きかった。具体的な数値目標や削減を盛り込んだ憲章への参加など、実際、望むべくもなかったのだ。

進んだかに見える対策その実態は

日本の署名拒否に、国内外で激しい批判が巻き起こった。政府関係者によると、安倍首相もこれほど厳しく批判されるとは考えていなかったようで、帰国直後から環境省などに海洋プラスチック対策を検討するよう指示が出された。視野にあったのは19年6月のG20大阪サミットだった。ダメージコントロールの一つとして打ち出されたのが「海洋プラスチックの排出量は中国など先進国以外の方が圧倒的に多いので、それに取り組むための枠組みはG7よりG20のほうがふさわしい」というロジックだった。

その結果、まず、国内対策としてまとめられたものが「プラスチック資源循環戦略」だった。戦略には「2030年までにワンウェイプラスチックの排出を累積で25%抑制する」「2030年までに容器包装の6割をリユース・リサイクルし、再生利用を倍増する」など、これまでにない数値目標が盛り込まれた。2006年に一度、決まりかけたが、コンビニ業界の反対で導入直前で見送られたレジ袋の有料化も決まった。

日本の海洋プラスチック対策が一歩前進したことは確かだが「25%削減」はG7憲章にあった「大幅削減」に比べれば見劣りするのは明らかだし、「政治的判断」(環境省関係者)によっていつの時点から、何を25%削減するのかが明記されていないのだから、数値目標の名には値しない。 G7憲章の内容には及ばないと言っていい。

一方、G20大阪サミットでは、国際交渉の結果、共通の世界のビジョンとして「2050年までに海洋プラスチックごみによる追加的な汚染をゼロにまで削減することをめざす」とした「大阪ブルーオーシャンビジョン」に各国が合意。サミットに先だって長野県で開かれた「G20持続可能な成長のためのエネルギー転換と地球環境に関する関係閣僚級会合」では、G20各国がそれぞれの経験や情報を持ち寄って、海洋プラスチック対策を進めるための国際的な「海洋プラスチックごみ対策実施枠組」を設置、動かしていくことでも合意した。将来的にはこの問題に関する国際条約の策定などをもにらんだもので、中国やインドなどの新興国を含めた取り組み強化の枠組みができたことは一定の評価に値する。その後、これにはG20以外の多くの国が賛同の意を示している。

だが「2050年排出ゼロ」目標は、使い捨てプラスチックの「削減」などの文言を盛り込むことに、終始、強く反対していたアメリカへの配慮の結果で、問題が深刻化し、対策が緊急を要することからすれば、明らかに物足りない。「プラスチック容器の再利用またはリサイクル率を40年までには100%にする」などの目標を掲げる憲章に比べれば、これも見劣りする内容だ。

世界標準に遅れをとる日本の取り組み

シャルルボワサミットからの一連の動きの中で明確になったのは、安倍晋三首相をトップとする現政権幹部の、この問題に関する認識の浅さと、日本の取り組みが世界標準に比べて大きく遅れていることに関する危機感の希薄さだった。

安倍首相はG20終了後の記者会見で「日本から大量の海洋プラスチックごみが海に出ているというのは、これは誤解であります」「かなり一部に日本から出ているものは限られている」と述べたが、これは明らかに事実に反する。太平洋北部にある海のごみだまりのなかの多くが、日本起源のものであることは多くの調査によって指摘されている。

世耕弘成経済産業相(当時)は会見で「2020年4月1日からレジ袋を有料化する」と胸を張ったが、世界の多くの国で有料化はおろか、使用禁止という規制が実施されており、日本の取り組みは世界に遅れをとっている。しかもその後の産業界などとの議論の中で、実施は7月1日に延期され、「厚さ0.05ミリ以上のもの」「バイオマスプラスチックを25%以上含むもの」など多くの例外が設けられた。金額や得られた資金の使途などは、すべて企業任せだということもあって、実施前から実効性に疑問の声が上がっている。

行き詰まる日本のプラスチックゴミ対策

レジ袋はプラスチックごみ全体の2%程度に過ぎず、その有料化は、海洋プラスチック汚染対策のほんの入り口でしかない。プラスチックごみの70%近くが焼却され、リサイクルされているものの多くが輸出されているため、国内で真にリサイクルされているプラスチックはほんの4%程度でしかない、という実態も変わっていない。海外への輸出はほとんど困難になり、地球温暖化対策の観点から二酸化炭素排出の大幅な削減が求められる中で、海外輸出と焼却に依存する日本のプラスチックごみ対策は完全に行き詰まり、根本的な見直しを迫られている。

真の問題解決には、不要な使い捨てプラスチック製品の生産と使用削減のための規制や数値目標づくり、代替品の開発と利用を進めるための仕組みづくりなどが欠かせない。プラスチック製品を生産する企業の責任や費用負担の仕組みが欠けている現行の容器包装リサイクル法の抜本的な改正も必要になると、多くの専門家が指摘しているのだが、政府部内にそのような動きは見られない。

シャルルボアサミットでの署名拒否とそれに対する批判をきっかけに、一定の前進はみられたものの、日本では当分の間、抜本的な改革の必要性から目をそらしたまま、その場しのぎの政策が続きそうだ。

図1、「海洋プラスチック憲図1章」と「プラスチック資源循環戦略」の違い

会誌『野鳥』2020年8月号(No.847)より(会誌『野鳥』の詳細はこちら


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